思い違い
僕らは大いに思い違いをしているように思う・・
我々人間の視点で見れば、勿論、天災はとてつもなく厄介なものです。
それは容赦が無く、全てを破壊し積み上げた全てを奪い去り、その存在自体を水泡に帰すると言って良い、悪魔のようなものだろう。
でも、僕はこう思っているのです。天災とは数多の自然の“営みのひとつ”であって、人間のスケールでは想像さえできない長い活動の瞬きほどの一瞬であると。この地に居るということはつまりそれとどんな形であれ付き合い続けるということなのだ、と。
短編ドキュメンタリーを撮った若きイタリア人の震災前と後のつぶやき・・
“自分が毎日どれだけ恵まれているか考えさせられる。日常の悩みは愚かな悩み・・”
と涙を流していたが、自然とはまさにそういうもので、人目線や慈悲なんてものは根本に存在していない。
美しい風景、美しい営み。繰り返す大災害、その後の無惨な光景。
全てひっくるめて“自然”なのであって、そもそも憎むべき対象でもないわけですが、まあ、だからと言って割り切れるわけもないのがまた我々・・
少なくとも何が起こっても地球は“想定内”の出来事でしかないということを心のどこかに留めておくことはそのようなことが起こった時にもきっと何かの足しになるのではないかと思います。
その後にまた豪雨によって河川の決壊や土砂崩れなどでまた街が無惨なことになったそれを彼らはどんな風にみて、何を思ったのかは非常に興味がある。
コンタクトしたら届くかしら・・
でも、総じてこの短編はいろんな側面を炙り出していて見応えのある良き映像だと思うので、お暇な時間にでもサラッとご覧になると良いと思います。
p.s.
昨日、Tommaso Barbetta(トマソ・バルベッタ)にコンタクトして、間も無く連絡が返ってきた。
彼は今、タイにいるようです。
“遠くから能登のニュースをみて、本当に心が痛いです。 タイのチェンライで、同じような土砂災害が最近起きて、ここもまた大変な状態です”(原文のまま)
とのことでした。
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