共感覚に思いを馳せる、同時に心配のタネ
今までと少し趣の異なる書籍“翻訳できない世界のことば”エラ・フランシス・サンダース著が紹介されている。
この本自体がとても面白い着眼点。
我々日本人が1300年ほど前に使っていた万葉仮名(漢字としての意味ではなく、仮名として当てる)やひらがなに共感覚を持っていたのと同じような気分を呼び起こしてくれるような感覚のようだ。
松岡正剛はそれを“そういう言葉はあまりに大切なので「かわいい」「キモい」「かっこいい」「イケメン」などのように無作法には連発できず、安易に放てば散ったままになりそうな感覚体験ゆえにそっと千代紙の反故にくるんで、どこかに仕舞われてしまうのである”と。
今度読んでみよう。いや、眺めてみようの類のものかもしれない。何れにせよ手に取ってみよう。
しかし、それにしても奇妙な結び方は今までの千夜千冊にあっただろうか?とても気になって、そして大いなる嫌な予感を感じてしまう。
千夜千冊を読み続けられている方々にはわかるだろうが・・特に直近のところで伏せられた“コト”が何か大いに関係しているのだろうが、それが何かは勿論伏せられているからわからないのだが、思いの外それが悪い方向に推移しているということなのだろう・・つまり、かなり芳しくないのだろうことは想像に容易である・・でも僕は正直、まだまだここをはじめ松岡正剛という知の巨人から高度な情報連想や編集工学というものを学び続けたいと思っている。この千夜千冊もまだまだいや永遠に続くだけのネタはあろうし、少なくとも二千夜くらいは続いて欲しい。その先ももっと見てみたいと切に願っている。
勿論、全てはおわりがあるのは承知している。が、今ではない・・
少しでも快方に向かわれることを祈るばかりです。