心配するよりも信頼してみると・・・
昨年暮れに、友人からわけていただいた苺の苗は春にはたくさん苺が実り、6月からランナーが伸びて、たくさんの子どもたちがスクスクと育ちました。調べてみると、植え付けは10月から11月に行うらしく、この夏はポットで大きくなるよう育てています。ポットの数は50個近く。猛暑だけれど、夏を乗り越えて欲しいな。
毎日いろいろなお花や果物たちに声をかけながら、水をやり、実りをいただくようにしています。水浴びしているお花や木々は嬉しそう。そして私も嬉しそうなこの子たちを見ていると嬉しい。
昨日から数日間、用事があり、家を離れることになりました。この子たちの水やりどうしよう。母と一緒に住んでいるので、母にお願いすればいいわけなのですが、ここには私なりの葛藤がありました。
たかが水やりなのですが。
私の中で心配が大きかったのです。
80過ぎの母には水やりは大仕事であり、自分の気に入ったお花には水やりをしているのですが、ホースからレーザービームのように放出する水はお花や木々が痛そうだし、ほんのちょっとしかお水を与えないので、母には無理だろうと。
それに、何か頼むと「えっ・・・?」と嫌な声で返事するので、それも嫌で頼みたくないなと思っていたのです。
また嫌な返事されるのなら頼みたくないし。
歳を重ねいろんなことが更に雑になってきている母にできるのかな。
帰ったらカラカラになっていないか、
他の方に頼もううかと。
任せられないなぁ。
自分自身の姿勢や呼吸を整えて、
自分がどうしたいのか、
どうすれば、私も母もハッピーなのか。
心配するよりも母を信頼しよう。
「留守の間、水やりお願いできるかな?」
「いいわよ。」
目がキラキラ!
快諾でした。
母も頼って欲しいと思っていたのかもしれない。
必要とされていると感じたいと思っていたのかもしれない。
それを私の方が任せられないと勝手の思っていたところもありました。
家を離れて数日経ちますが、どのようにしているかはわかりません。
けれど、どこかで大丈夫と思っている私がここにいます。
きっと母も苺の苗も、お花も、木々も。
そして、ありがとう。
「心配」ではなく、「信頼」を広げていくことで
現実が変わっていくことへの気づきに。