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他人のことに構うのなんか、やめたらいいのに。
最近のSNS社会では、他人の趣味や思考、意見に対して、まるで自分のことのようにおせっかいを焼く人が増えている。
あれこれ口を挟み、自分の価値観や正義を押し付ける。
そんな人々が、ネット上でうろついている感じが否めない。
しかし、果たしてそれは本当に必要なことなのだろうか。
他人の好きを否定する権利
SNSをやっていると、よく流れてくるのが他人の「好き」を否定する投稿だ。
もちろん、人の主張は様々だし、自由だと思う。
だから、その主義主張そのものを否定しようとは思わない。
ただ、賛否の検証ではなく、単なる否定。しかも自分の主観に基づいた否定ありきの情報を発信することで、世界は少しでも良くなるのだろうか?
個人的には、人の好きを否定する権利など、誰も持ち合わせていないと思っている。
もちろん、建設的な議論の中での否定や思考の違いの検証は別だ。
異なる意見が掛け算されることで、新しいものが生まれたり、いままでなかった価値観に気がつく事がある。
双方納得の中の議論であれば、これは建設的否定であり、正しい化学反応であり、議論の後に世界が少しだけ良くなる気がしてる。
でも、垂れ流しの一方通行のSNSの中では、これはなかなか成立しない。
限られた文字数の中では、そもそも議論にすらならない。
ただ、自分の好きを否定された。という事実が残るだけだ。
フォロワー数の多いインフルエンサーであればあるほど、この無自覚の否定には慎重になるべきだと思っている。
なぜ、他人の好きに首を突っ込むのか?
そもそも、なぜ他人の好きに首を突っ込み、それを否定するのか?それが不思議でならない。
個人的に合わない、しっくりこない、別のものを選んだ、という情報開示には価値があると思うけど、一般論化したり、頭ごなしに否定したり、さも自分の思考こそが正義だというような主張は到底受け入れられるものではない。
特に、自分が好きなものに対してならなおさらだ。
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