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Remember 3.11 〜あの日を忘れない、あの灯を絶やさない〜
東日本大震災から13年。
13回忌という節目にあたって、少しだけ当時の記憶と記録を残しておきたい。
2011年3月11日
当時、私はテレビ制作会社でディレクターとして働いていた。
担当はドキュメンタリー。
春の甲子園出場を目指す、兄弟の絆を描く番組の企画会議が始まる直前だった。
午後2時46分、会議室を大きな揺れが襲ってきた。
「なんだこれ?」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
テレビをつけると、画面には信じられない光景が映し出されていた。
巨大な津波が沿岸部を襲い、街を飲み込んでいく。
そのまま会議は中止になった。
都内の電車は動かず、帰宅困難に陥った私は、渋谷のオフィスから高円寺までの道のりを歩き始めた。
不安と疲労で足が鉛のように重かった。
歩道橋には長蛇の列。
帰宅難民が都内に溢れていたが、街は思ったほどの混乱には陥っていなかったようだ。
2時間以上もかけて、なんとか家にたどり着くことができた。
幸いなことに、電気、ガス、水道も問題なく使えた。
壊れたものもなさそうだ。
一夜明けて、テレビは報道一色。
被害の大きさ、凄まじさだけは伝わるが、被災地の生活や避難者の詳しい状況は分からず、東京でも余震と不安に押しつぶされそうな日々が続いた。
結局、甲子園ドキュメンタリーは企画が採用され、撮影がスタートした。
甲子園取材で訪れた関西の空気の違いに驚いた。
被災地に笑顔を。という言葉が上滑りしていく。
こんな気持ちで、爽やかなスポーツドキュメンタリーなんかつくれない。
自分がやるべきことはもっとほかにある・・・。
そんな思いで、被災地ドキュメンタリーの企画を書きまくった。
現地の安全性の確認や、テレビ編成の関係もあり、被災地を取材するドキュメンタリー企画が通ったのは、その年の年末。
明けて2012年1月、ようやく1本目の企画取材をスタートさせることができた。
実に一年近くの月日を要した。
カメラマンと一緒に被災地を訪れると、そこには変わり果てた街の姿があった。
津波によって全てが流され、更地になった街。
瓦礫の山と化した家々やビルはそのままの姿を残してる。
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「こんなことが本当に起こったのか…」
一年が経とうとしているのに、何も変わっていない現状。
避難所生活は長期に及ぶと予想されていた。
ドキュメンタリー制作者としてこの現実を伝えるという使命や責任と同時に、何も知らずに足を踏み入れてしまった後悔と自責に板挟みになった。
それから、何度も被災地に通い、一年がかりで合計6本のドキュメンタリー番組を制作した。
福島の取材では、第一原発から三キロの場所へも行った。
手にはガイガーカウンターを持っていた。
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番組は満足のいくものもあった。
納得のいかないまま放送されたものもあった。
自分に何ができたのかはわからなかった。
ただ、取材を通して現地の方とつながり、多くのものを与えてもらったことは間違いない。
あの日、私たちは多くのものを失った。
でも、同時に、人間の強さ、そして希望の大切さも知った。
2013年、6本目のドキュメンタリーの放送を持って、私はテレビ業界を離れた。
ある意味で、燃え尽きたとも言える。
3月11日は、決して忘れることのできない日だ。
あの日の記憶を風化させず、自分の見聞きしたことを語り継いでいく。
それが、自分にできることだと思う。
あの日を忘れないために。
あの灯を絶やさないために。