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障害児だった私が大人になって気づいたこと

私は生まれつき顕在性二分脊椎という障害を抱えています。
小学生の頃、運動会の徒競走ではいつもビリで、周りの親御さんからの視線や「頑張って〜」なんて言葉が、いつも「恥ずかしい!」という気持ちを私に植え付けていました。

小中学生時代、私はよく「キモい」「菌がうつる」なんて言われていました。
「なんでスナドリのプリントが俺に回ってくるん?」
「生きてる意味あるの?」そんな言葉を聞くたびに泣きました。
大人になっても街で声を掛けられるのは「若いのにかわいそうにねぇ、頑張ってね。」そんな言葉です。
私は「かわいそう」でもなければ「頑張って生きている」わけではなく、障害のない方と同じように1人の人間として、頑張ったり頑張らなかったりしながら日々を生きています。


「普通」ってなに?

つい最近、精神障害はあるけれど、超ポジティブな友人から教わった言葉があります。
「普通なんてない。それは誰にとっての普通なの?」
この言葉を聞いたとき、私の中にあった「普通じゃない自分」というネガティブな感覚が少しだけ軽くなった気がしました。

例えば、私の愛猫ソイちゃんは虹彩異常を持っています。
昼間は瞳孔が砂時計のように見えるのですが
それがまるで宝石のようで、私にとってはとても愛おしい特徴です。

でも、保護猫カフェで初めてソイちゃんに出会ったとき、ほかの猫と比べて瞳の違いに目が行きがちでした。
それは「一般的じゃない部分」を気にしてしまう人間の習性なのかもしれません。ソイちゃんの瞳は特別で美しいものなのに、それに気づくまで少し時間がかかりました。


障害やハンデは「個性」ではなくていい。でも、特別にはなる。

私は、「障害や疾病は個性だ」とは思いません。
それを持つ人の日常に困難が生じているから障害なんだと思っています。
ただ、障害を持つこと、「一般的でないこと=悪いこと」という考え方には疑問を持っています。

ソイちゃんが私たち夫婦に安心して甘えてくれる姿を見るたびに、「一般的でなくても大丈夫なんだよ」と言ってくれているような気がします。ソイちゃんは、自分のままで私たちにとって最高の存在であり、特別な家族だからです。


子どもたちへ伝えたいこと

子どもの頃、私は障害を持つ大人のロールモデルに出会うことがありませんでした。
もしも当時、「こんなふうに楽しそうに大人をやっている人がいる」と感じられる人がいたら、未来への希望がもっと持てたかもしれません。

だからこそ、私は自分の生き様を通じて伝えたい。
「未来はきっと明るいよ」
「あなたの人生は、あなたがどう生きるかを決められるんだよ」と。

私自身も、最初から「自分らしく生きる」ことができたわけではありません。
でも、髪を派手に染めて好きなスタイルを楽しんだり、猫モチーフのアクセサリーで自分を表現したり、「一般的」じゃないことを逆手に取ることで、30代になった今、少しずつ生きる楽しさを見つけられるようになりました。
どうせ車いすで目立つなら、変わった色の髪も、気になっていた和装なんかも楽しんでみようと思っています。


保護猫カフェを通じて、目指す未来

私は今、「障害のある猫ちゃんたちが輝ける場所」を作るために勉強をしています。
それは、障害やハンデを抱えた人が自分の居場所を見つけることと同じくらい大切なことだと思っています。

ソイちゃんのように「一般的」ではない特徴を持った猫が、安心して暮らしながら、訪れる人々に癒しを与える。そんなカフェを作るのが私の夢です。
そして、そのカフェを通じて、障害を持つ人やその家族に「一般的じゃないことは悪いことではない」と伝えたい。


「普通」を乗り越えて

「一般的じゃないこと」を悩んでいる子どもたちや、その子を支える家族の皆さんへ。
どうか知ってください。
「普通」なんてない。だから、あなたはそのままでいい。

もしあなたが、あなたのお子さんが
今見ている世界がどんなに暗くても、未来はきっと明るい。
だから、どうか自分やお子さんを信じて歩んでいってほしい。

私はこれからも、一般的でないことを逆手にとって
「一般的」ではない人生を楽しみ尽くします。

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