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10年前
10年前の今日、親友のYは留学先で亡くなった。
その知らせを受けたのは、5日後のことだったと思う。
たぶん、その日は普通に仕事をしていて、いつも通りの1日を過ごしていたはずだ。
スマホが鳴ったのはお昼休み、ニュースが流れる時間帯だったと思う。
母からの電話だった。その声はいつもと違っていた。
「ニュースでYちゃんの名前が流れてる…聞き間違えかもしれへんけど…事故って…」
母が不安そうに言った言葉が耳に入った瞬間、私はそれを全力で否定した。「違うんじゃない?(そんなわけあるかい)」と、自分に言い聞かせるように答えた。
でも、それは現実を押し返そうとする必死な抵抗でしかなかった。
「Yはアメリカに留学してるんやから…」
そう心の中で繰り返して電話を切ったものの、胸騒ぎは消えなかった。
数日後だったか、その日のうちだったか。友達から電話がかかってきた。
「誰かから聞いた?Yちゃんが留学先で事故で亡くなったって。」
聞いた瞬間、心臓がぎゅっと縮むような痛みが走った。
その一言が全てを突きつけてきた。現実を否定する余地なんてなくなった。
事故なんてニュースで見る他人事のはずだった。それが、私にとって最も大切な人の話になるなんて、考えたこともなかった。
頭の中は真っ白で、「なんで?」「なんでなん?」という問いだけがぐるぐると渦巻いていた。何度考えても答えが出るはずがないのに、その問いを止めることはできなかった。
Yに再会したのは、それから3週間後だった。
留学先から無言の帰国をした彼女と、お通夜という22歳同士には早すぎる場所で再会することになるなんて思ってもみなかった。
お棺の中で見たYは穏やかな表情で、どこか笑っているようにも見えた。
その顔を見て、私は呆然と立ち尽くした。
そしてやっと出た言葉は、「笑ってる場合じゃないって!」だった。
その言葉が何を意味していたのか、当時の私自身にも分からない。
ただ、目の前の現実に耐えきれなくて、何か言わなければ自分が壊れそうだったのだと思う。
お通夜の帰り、中学時代のYを含むいつメンだった友達と一緒にエレベーターに乗った。扉が閉まった瞬間、私たちは声を上げて泣いた。
「なんでYなんやろ」
その言葉以外、何も出てこなかった。ただただ涙が溢れるまま、2人で泣くしかなかった。
Yとは留学中もたまに連絡を取っていた。「帰国したらまた飲みに行こ」って話していた。こんな形じゃなく、「おかえり」を言いたかったのに。
事故のニュースは大きく報道されていたらしい。ネットニュースにはコメント欄がついていて、「大学生が調子乗ったからやろ」なんて心ない言葉が飛び交っていたと後から聞いた。
私は妹に「お姉ちゃんは見ないほうがいい」と言われ、そのコメントを一切遮断した。見たら傷つくだけだと分かっていたし、今でも見なかったのは正解だったと思う。
あの事故以降、私たちの間では「シートベルトの重要性」を何度も話すようになった。Yのことを考えるたび、「ちゃんと守らなきゃ」と思うようになった。あのとき彼女がしていなかったという事実が、今でも私たちの心に重く残っている。
10年が経った今も、Yのことを思い出さなかった日はない。この時期になると、Facebookに感謝の気持ちを綴り、「見守っててね」と投稿するのが私の習慣になった。
命を守るため、大切な人を悲しませないためにも、車に乗るときは必ずシートベルトを締める。それが私にとって、Yとの約束であり、教訓なのだと思う。