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ルネサンス『我動説』の終焉:俺たちのエゴで回した世界の末路

コペルニクスが「太陽じゃなくて、地球が回ってるんすよ」とつぶやけば、ルターが「教会も信者のカネで回ってるだけじゃねえか」と怒鳴る。教会のお偉いさんは「異端だ!」とワインを吹き出すが、ルターが「免罪符?そんなん聖書に書いてねえから」と免罪符ビジネスのお金一神教をぶった斬る。

「教会いらん!聖書に立ち返れ!」

混乱する涙目の教会を横目に、ガリレオが「望遠鏡で確認したけど、やっぱほんまに地球が回ってるわ」と地動説で追い討ちをかけ「神が人類に与え給うた地球こそ宇宙の中心である」と1500年近く天動説を唱えてきた教会の大嘘がバレて権威がガタガタにぐらつく。

更にデカルトが「考える俺がいるから世界が回っとる!神さんなんか曖昧なもんすがらんでも大丈夫っしょ?世界の中心は俺様だから❗️」と開き直るや、天動説も免罪符もバカちんも人造GODも全て吹き飛び、完全にチェックメイト。

「神?心?全て疑わしいが、    
疑っている俺だけは確かだ!」

而して人類は、天動説から地動説へコペルニクス的大転換を遂げる。しかし、これがエスカレートして、遂には「俺が世界を回す中心だ!」等という【我動説】なる壮大な勘違いに突入する。「理性」という新たな聖書を手に。しかし、ルネサンスの「自我(理性)中心」的な革命は一時的に著しい進歩を見せたが、限界も孕んでいた...

皮肉なことに、ルターが「教会いらん!聖書に立ち返れ!」と原点回帰を促す宗教革命を起こせば、新たな権威=プロテスタント教会が再び生まれ、フランス革命では「自由だ!平等だ!博愛だ!」と民衆が叫んだ結果、ナポレオンの独裁に逆戻り。結局、理性や理想の旗印を掲げるたびに、元の木阿弥どころか、更に深い迷宮へ突っ込む有様だった...

宗教でも政治でも、革命により権威を打倒するまではよいものの、民衆は自由で過酷な道に耐えられず、新たな秩序を求めた。理想が現実に呑み込まれ、革命の原点から大きく逸脱し、理性が混乱を招く歴史は繰り返される...

理性という新たな聖書を引っ提げ「俺達こそ世界を回すエンジンだ!」と沸き立ったルネサンス。しかし、進みすぎた自信は、やがて「理性が全てを制御し、世界を理解し尽くせる」「俺達を中心に地球が回っている」と本気で信じるほどの過信・軽率・傲慢を招いた。

しかし、現実はどうかというと、俺達が地球を回すどころか、地球さんが気まぐれに震えたりクシャミしたりするだけで人類を震撼させ、環状線も狂う始末。それでも我を張るから、遂には地球のリズムまで狂わせ、思考の限界が露呈。

「木を診て森を観ず」
精神的視野狭窄では人間も地球も壊れる

「我動説」により理性と科学を推し進めたはずのルネサンスは、結局「人間、少し考えすぎたな」に終わり、却って人類を閉じ込める結果に。その思考の優位性も今や完全にAIにぶち破られる始末。

俺達が神に成り替わり世界を制覇できると信じ込んだ結果、俺達の理性が世界を回すどころか、世界に振り回される歴史。尊大な羞恥心と臆病な自尊心...その滑稽さと悲哀が詰まった「我動説」は、もはや人類がいかに自信過剰で、なおかつ無力だったかを象徴している。さて、この壮大な勘違いの果てに人類がたどり着く境地とは――

理性を振り翳したデカルトが実は
最も理に適っていないオカルトであった...

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