Conscience(良心)無きサイエンスの誤謬
良心からconが抜けた科学は
いのちに対して頭が高くなる。
宗教とFCの旧い発想では命が先細り😅
コピペとピンハネが大好物な俺たちは
いのちに対して頭が高過ぎるのだ💦
家族や仲間には決してやらないことも
「外側」の人には平気でできてしまう
いのちをいのちと思えばできないことも
人を「物」扱いするからこそできる
同じいのちと思っていない証拠❗️👹
集客、子作り、子育て...
オレが教えた、育てた、与える...
再現性、支部、FC、認定講師...
ロボットじゃあるまいし
なんておこがましい言葉遣い‼️
東洋的な精神性を
西洋的に機械的に拡げる
支部なんて滑稽すぎるꉂ🤣𐤔
これは感性の問題☝️
conを欠いた科学は、無情な進歩を招く。
農が業として工業化されることで、
一人で作業を完結できるようになった反面、
共同作業やコミュニティの絆が希薄化した。
機械の代替の如き労働や教育が五感を潰し
想像性も創造性も根こそぎ奪い去る。
科学の進歩によって
我々は多くの豊かさを得たが、
失ったものも少なく無いはずだ。
自分は教育分野を出発点に、
医療や農業など各分野でも
同根の課題に突き当たったことで
大元である科学文明の誤謬に気付いた。
科学が進歩することは必要だが、
そこに「良心」や「共感」が欠けると、
結果として命の尊厳や人間性を軽視した
「冷酷な進歩」となることを危惧している。
科学による恩恵を享受できることに感謝しつつ、
良心を欠き自我意識と共に肥大化した
サイエンスの行き過ぎを見直す時だ。
良心を欠いた科学に
何を取り戻すべきか?
語源を辿れば
ヒントを得られるかもしれない。
教育から排除されたものを
集め直せば育めるかもしれない。
全ては科学自体の問題ではなく
それを用いる人間の意図次第である。
科学を捨てて心を守るか、
心を壊して科学に殉じるか。
科学なき世界は暗闇なれど
心なき科学もまた深き闇なり。
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