もしも偏差値のない世界になったら
よくブログのタイトルにありそうな
『偏差値70の◯◯生が教える勉強方法!』
『偏差値30からの逆転劇!』など
人の目を引かせる言葉「偏差値」
私は偏差値という指標が好きじゃない。
【いい学校=偏差値の高い学校】の概念は
必ずしもそうじゃないと知っているのに
何十年も続いてきて、これからもきっと存続するはず。
受験時代にその話題が消えればいいけど
入学後の人付き合いでも、就職でも、最悪バイト探しでも
僅かながらずっと関係してくる。
高偏差値の学校でダラダラ過ごしていても
「すごいね!」ともてはやされ、
逆に微妙な偏差値の学校に入学して
その後頑張ったとしても「所詮Fランでしょ」と軽く見られる。
見ているのはその人自身ではなく、
学校名・学部のブランド。
就職偏差値や顔面偏差値ともいうことから
マウンティングをするにはいい材料になる。
他と比べてどれくらいの位置にいるのか、
数字で表わすから分かりやすい。
標準並みで安心したり、はるか上にいて鼻高々になったり。
しかし”偏差”は
標準(50)からどれくらい離れているかを示すもの。
偏差値がすべてだと信じて疑わない人が多いが
あくまでも1つの参考。
データにバラつきが出て信憑性に欠けることもある。
センター廃止前の受験は安全志向だから中堅レベルほど
母集団が多くなる→優秀層も受けるから
去年の偏差値は通用しない。
そして例年難関レベルとされるところは母集団が減り、
本来受ける予定の優秀層の枠が空いて
いわゆる逆転合格が現実になった。
もし、偏差値の存在しない世界になったら
きっと「なんとなく」で学校や会社を選ぶ人はいなくなるだろう。
基準の指標が無くなり、自分軸で物事を決めることで
自己満足度や自己責任を強く意識するようになる。
教育の質や設備、雰囲気など
リアルな証拠・声を探すために、
本当の意味でいい選択をする必要が出るようになるから
結果として良くなるのではと私は思う。
手間はかかるけど入った後のギャップを埋めたり
満足度を上げるには十分な準備だと思う。
数字なら何でも信じられるわけではないはず。
親や周りが喜んでくれるから偏差値の高いところを選ぶ。
その気持ちは素晴らしいけど
入るまでが最高潮だった人になってしまう。
久々の塾バイトで受験生の子たちと話したときの気づきでした。
*素敵なイラストありがとうございます。
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