【#289】愛の眼差しに砕かれる
8月17日(土)の様子
8月17日(土)と18日(日)の2日間は、森下辰衛先生をお迎えしました。17日は斜里岳の麓、清里町のからし種に14名が集まる中、「死ぬという大切な仕事〜三浦綾子夫妻の終活」というテーマでお話しくださいました。
パーキンソン病になった時から「死ぬという大切な仕事がある」と言われ、「自分の死に様が用いられるように」と祈り続けてきた綾子さんのこと。そして「介護される身は、介護する身より、はるかに苦しいのだ」、「綾子はよく耐えていた。イライラせず、愚痴も言わなかった」と言われる光世さんの介護の様子なども語られました。
老々介護は密室殺人が起こりやすい壮絶さがあります。救急車で運ばれる妻に「これで死んでくれるかなあ」と思ったその自分の心こそが地獄だったと、涙ながらに森下先生に語られたある男性の話は、既に2度ほど聞いています。それでも何度聞いても込み上げてくるものがあります。その男性が、テレビで光世さんが綾子さんを老々介護する様子を見た時に、「なぜこんな人がいるんだ、こんな世界があるとは」と、その男性は泣いて泣いて泣き尽くし、それから介護の人生が変わったこと。
現実のドロドロとしたもの、様々なことがある中で、「ありがとさんでした」、「良かった」と締めくくれる「死ぬという大切な仕事」について、とても美しいものを見つめさせていただいた土曜日の午後でした。
8月18日(日)の様子
森下先生はこの日の礼拝メッセージについて、本当は違う内容を語るつもりだったようですが、数日前にいろいろと考えて変更されました。そのように主なる神が導いてくださったのでしょう。
礼拝後、お弁当愛餐会で皆さんで昼食をいただきながら、恵みの分かち合いをしました。その時、Oさんが「今日、森下先生は『ひつじが丘』を通して『愛とは赦すこと』ということを一番伝えたかったんだと思います。でも、本当に申し訳ないんですが、僕は赦せません。どうしても赦せません。赦したいんですが、どうしても赦せません。ごめんなさい」と肩を震わせながら、涙ながらに語られました。
Oさんは「赦したくない」と言われたのではなく、「赦せない」と言われたのです。そこには天と地ほどの大きな開きがあります。「赦したいんですが、赦せない」と言われたのです。Oさんは既に主の愛の眼差しの中にあることを確信せずにはおれないひと時でした。
今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。