見出し画像

【#300】人間関係の交通事故

備え日に

 土曜日のことを牧師の間では「備え日」と呼んでいます。メールを出すときにも、電話をかけるときにも、相手が牧師だと「備え日に失礼します」という一言が入ります。翌日(日曜日)の礼拝準備を大切なものとしているので、そのような呼び方、挨拶となるのでしょう。

 そんな備え日である9月7日(土)の午後6時前、大きな破壊音、衝突音、機械音と鈍い音が混じり合った音が、教会の建物の中にも響き渡ってきました。「近くの交差点だ」と思い、妻と一緒に小走りで向かいました。「主よ、大きな音でしたが、大きな事故、人命に関わることがないように守ってください」と心の中で祈りつつ交差点に着くと、もう既に多くの方々が集まっていました。

▲ 教会近くの交差点での交通事故(2024年9月7日)

事故と事故後の様子

 青い車は左を向いていますが、おそらく右に向かって走っていたところ、交差点で白い車と衝突して回転し、白い車は歩道に乗り上げたのではないかと思っています。青い車を運転していたであろう女性が抱えられながら、車外に連れ出されていました。意識もあるようで、抱えられながらですが歩かれていたので、ひとまず瀕死の重傷ではないことを確認しました。

 救急車が来るまで、一人の男性がライトを灯したスマホを片手に振りながら、交差点に入ってくる車に対し、走行車線ではなく追越車線に行くように誘導していました。こういう男性の存在は、とても心強いですね。

被害者にも加害者にも

 随分前のことですが、教会員のHさんがくださった手紙に「人間関係にも交通事故があると思います」という一文があり、本当にそうだなぁと思いました。我がまま運転での衝突は、周囲を無視して起こるいさかいでしょう。規則を守らずに怪我をさせることは、礼儀や配慮をわきまえないで人を傷つけてしまうことでしょう。酔っぱらい運転は、お酒を飲んで理性を失ってからむこと、急ブレーキ、急ハンドル、急発進の3拍子は、気性の荒さ、短気のためにスムーズに事が進みません。

 車間距離をとらないことは、人間(じんかん)距離を取らない執拗なプライバシーへの関与、反対に脱輪した車を見て見ぬふりして通り過ぎることは、「我関せず」の無関心、同情心のない冷めた人間関係でしょう。あおり運転は、過度なプレッシャーを与えることでしょう。子どもが乗っているのに荒っぽい運転をすることは、家族をかえりみない姿勢と言えるかもしれません。

▲ 運転手を抱えながら車外へ連れ出す様子(2024年9月7日)

 「人間関係の交通事故」、被害者にも加害者にもなりたくないですね。大きな事故は命取りになってしまいます。車も人間関係も、「安全に、思いやりを持って」ということのようですね。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?