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【#09】 天の窓が開かれて

 前回のblogを、2019年9月に休止しました。その後、blogを続けていたら記していただろうと思うことが多くあります。そういうことも少しずつ、紹介していく予定です。時系列や季節が様々に前後しますが、ご容赦ください。

お願いがあるのですが

 もう5-6年前になると思いますが、「先生、お願いがあるのですが」と、紋別のAさんが私に尋ねられました。こういう時、「何のお願いだろう?」と少し不安になるのは、牧師だからかもしれません。するとAさんは「礼拝後に祈って帰っても良いでしょうか?」と言われるので、「どうぞ、どうぞ。教会は祈りの家ですから」と言いました。少しの不安に対して胸を撫で下ろしながら、喜びが湧き上がってくるのを覚えました。

 私たち夫婦のどちらかが、月に1度、紋別での礼拝奉仕に出かけます。その他の週は、北見のDVDをお送りしていました。それがやがてライブ配信という形になっていきました。礼拝後の祈りは、Aさん以外にも祈りに加わる方々が起こされ、牧師がいない日曜日の午後、いつ終わるとも決まっていない自由な形で継続されています。

▲ 2020年8月20日 撮影 紋別神召キリスト教会

 今から思い返しますと、礼拝後の自由祈祷が積み重ねられていくに連れて、私たち夫婦が講壇に立つ度に感じたことは、「天の窓が開かれている」ということでした。主が紋別という北の果ての小さな街で捧げる礼拝を喜んでおられることがよく分かるのでした。主なる神の喜びを知ると、自分自身の内側に喜びが湧いてくるのがよく分かります。

案内板を飾る

 紋別の隣町・湧別町の牧場に勤めているKさんが、車で40分ほどかけて紋別の礼拝に集われるようになった頃、私はKさんにお尋ねしました、「出身教会ではどんな奉仕をされていましたか?」と。Kさんの出身教会は、次から次へと新しい賛美が生み出されている教会なので、私の下心は「きっと奏楽ができるに違いない」というものでした。するとKさんは、「案内板を飾る奉仕をしていました」と言われたのです。「案内板を飾る??? あー、そうですか」と言いながら、「何か奏楽はできますか?」とお尋ねすると、「いえ、奏楽はできません」とのこと。

 その年のクリスマス、私は案内板を飾るということがどういうことかよく分からないままに、Kさんに「教会の案内板を飾ってもらえますか?」とお願いしました。するとKさんは快く引き受けてくださいました。随分後になって聞いたことですが、Kさんは案内板をどのように飾るのかを、熱心に祈り求めるそうです。自分のセンス、自分のやりたいことではなく、主の願い、主の思いを尋ねながら、産みの苦しみをして作成されるそうです。

 そうして2020年の12月、飾られた案内板を見て、当時派遣されていた神学生が興奮し、礼拝前に皆さんで記念撮影するほどに、素敵な案内板ができあがったのでした。案内板を飾るってこういうこだったんだなあとよく分かりました。そして後日談もあるのですが、またの機会に続きを記していく予定です。

▲ 2020年12月12日 飾られた案内板

明日の礼拝

 さあ、明日は礼拝です。川崎中央福音教会の献堂73周年記念礼拝として、北見と紋別の教会も一緒にその恵みに与らせていただきます。大いに天の窓が開かれたひと時になることを期待しています。

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