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エモラップの概念を工学する

哲学カルチャーマガジン「ニューQ」編集長の瀬尾浩二郎さんの著書、「メタフィジカルデザイン つくりながら哲学する」を読みました。

この本を別の言葉で説明すると、「つくるための哲学入門」と表現できます。また、ここで言う「つくること」とは、座りやすい椅子やアート作品といった具体的なものから、社会制度や企業理念、より抽象的な概念まで―つまり、「つくった」と言えるものならなんでも―を対象にしています。

「はじめに」より

この本は「問いを立てる」、「概念を工学する」、「メタフィジカルデザイン」の三つの章で構成されています。第一章「問いを立てる」では、日常の中から問いを立てる方法、哲学的な問いを立てるための練習法やワークショップの事例などを紹介。第二章では「健康」や「女性」のような概念の開発・評・改良を行う「概念工学」をテーマに、事例を交えたワークショップの方法や一人で概念工学を行う例を紹介しています。第三章は哲学とデザインの重なる部分やデザインの中にある哲学の要素などを考え、哲学とデザインの往復・融合を図る「メタフィジカルデザイン」を提案するものです。こうやって本の内容を簡単に紹介すると馴染みのない方は難しく感じるかもしれませんが、実際はかなりわかりやすい本です。事例も多く載っており、何かを考えるためのヒントが詰まっています。

私が特に印象的だったのが、「概念工学」を扱った第二章です。「うまく使えていない言葉」や「既存の言葉では言い表せない概念」の定義を問い直す方法が紹介されていますが、私も日頃音楽についての記事を書く中でもこういった改良が必要そうな概念に出会うことがあります。例えば「エモラップ」は微妙に不明瞭なサブジャンルだと感じており、何かうまく語れないだろうかと考えていました。

そこで今回、この本に載っている「一人でおこなう概念工学」の方法に沿って、「エモラップ」の概念を工学してみたいと思います。

ここでは ①経験をもとに、問いを出しながら概念を分析する ②仮説をたて、概念を工学する ③工学した概念を評価する の三つの手順で概念工学を行っています。そこで、まずはエモラップの概念を分析します。

エモラップの概念で最も重要だと思われるのが、それが「エモーショナルなラップの曲であること」です。同じことを二回言ったような気がしますが、エモーショナルでもラップでもないものはエモラップと言えないことは確かだと思います。最もシンプルな定義はこれにあたるのではないでしょうか。続いて、必ずしも当てはまるわけではないけど、一般的には認識されているエモラップの概念を考えると、「ロックの要素がある」「トラップの要素がある」「ラップスタイルはメロディアスなもの」「不安や弱さを歌っている」「2010年代後半から盛り上がった」などが挙げられます。

続いて「この曲はエモラップである」と感じた・書いた経験を通して、疑問に思ったことを考えていきます。私がエモラップについて書く時によく考えるのが、「エモラップのロック要素とは何なのか?」ということです。Lil PeepXXXTentacionなどが取り組むエモラップはギターの音色がたびたび使われていますが、Juice WRLDLil Uzi Vertのエモラップは必ずしもそうではありません。しかし、なんとなくロックの匂いは嗅ぎ取っているような気がします。

そのことについて新たに問いを立てるとしたら、「ロックの匂いとは何なのか?」でしょうか。ロックバンドのヴォーカリストを客演に迎えたヒップホップの曲も多く残されていますが、それらはビートにギターが使われていなくても明らかに異物感があったように思います。例えばYing Yang Twinsが2005年にリリースしたアルバム「U.S.A. (United State of Atlanta)」には、Maroon 5Adam Levineをフィーチャーした「Live Again」という曲が収録されています。同曲にAdam Levineの歌声が与えたフィーリングは、同作のほかの収録曲でAnthony HamiltonAvantが与えたそれとは異なり、ビートはエレクトロ系ですがやはりロックの匂いを嗅ぎ取れます。

ということは、ヒップホップでロックの匂いを認識する要素の一つに、発声方法やメロディの部分がありそうです。これはエモラップにおけるラップスタイルの主流がメロディアスなものであることを踏まえると、かなり腑に落ちるように思います。しかし、「ラップだけでエモラップを考えてもいいのだろうか?」という問いも生まれます。試しにタイプビート販売サービス大手の「BeatStars」で「emo rap type beat」を検索すると、数え切れないほどの大量のエモラップ・タイプビートを聴くことができます。これは人々がラップが乗る前の段階から「エモラップっぽいビート」と認識しているものがあるということです。

それらを聴いてみると、多くはギターやピアノの音が使われたトラップでした。ファンキーなギターやジャジーなピアノはなく、やはりここでもロックっぽいフィーリングが一つの要素になっていると感じます。また、XXXTentacionやTrippie Reddが取り組むようなロックそのものに接近したような例も少なく、「ロック×トラップ」がビートにおけるエモラップの一般的な特徴と言えそうです。そして、XXXTentacionのタイプビートは少なく、Lil Peepのタイプビートを多く発見できます。これは必ずしもトラップやロックの要素を入れなかったXXXTentacionに対し、Lil Peepは両方の要素を積極的に入れてきたという両者の違いとも一致しています。さらに、「sad」という単語が付けられたタイプビートも多いです。このことからは、単にロックとトラップのクロスオーバーというだけではなく、悲しげなムードが重要だと考えているビートメイカーが多いことが伺えます。

もっと深掘りできることがありそうですが、今回は一旦ラップとビートの二つの軸が見つかったところでまとめてみたいと思います。見つかったエモラップの要素は以下の通りです。

・ラップまたはビートにロックの要素がある
・ラップはメロディアスなスタイルが主流
・ビートだけで考えるとトラップの要素がある
・悲しげなムードを纏っている

なんとなくラップとロックの融合としてきたところが、少し整理されてきました。サブジャンルとして名前が付けられていないスタイルも多くありますが、エモラップの概念を工学することでそれらのうちのいくつかを拾えるようになるのではないかと期待しています。それを目指し、次のステップに進んでみたいと思います。

本では「もしも」という言葉から始まる構文を使って仮説を立て、どのように概念を工学できるか検討しています。そこで私もそれに倣い、新しい「エモラップ」定義を考えてみたいと思います。

まずは、「もしも、エモラップのビートメイカーがソロでインスト作品をリリースしたら?」を考えてみます。先ほど「ラップまたはビートにロックの要素がある」「ビートだけで考えるとトラップの要素がある」というエモラップの定義を挙げましたが、ビートだけでエモラップが成立するとしたら、こういった音楽も新たにエモラップ視点で捉え直すことができるような気がします。また、乗るのがラップではなくR&Bシンガーの歌だった場合はどうでしょうか? オルタナティヴR&Bには実際にそういった曲もありますが、それらをエモラップとして解釈することができるように思います。なお、「もしも」と書きましたがエモラップのビートメイカーのソロ作品は実際にあるので、興味がある方は聴いてみてください。

次に、「もしも、ヒップホップ以外のジャンルで条件を満たす曲があったら?」を考えてみます。ラップが乗るジャンルはヒップホップに限らず、グライムやラップメタル、レゲトンやEDM、K-POPなどでもラップを聴くことができます。実例がいくつかあるのでそれを聴いてみましょう。レゲトンのトップランナーの一人、J Balvinが今年リリースしたアルバム「Rayo」には、悲しげなギターを使ったエモーショナルな「3 Noches」が収録されています。これがエモラップとして聴かれることは現状恐らくないですが、共通するフィーリングを持っていることは確かではないでしょうか。また、Juice WRLDは2019年にリリースしたアルバム「Death Race for Love」収録の「Hear Me Calling」でアフロビーツに挑んでいます。乗せ方は別にアフロビーツに寄せているわけではなく、Juice WRLDらしいエモーショナルなスタイルです。これらを並べて聴くことは、また新しいリスニング体験に繋がるような気がします。

最後に、「もしも、ビートがエモラップでもラップがエモラップではなかったら?」を考えてみます。ビートだけでエモラップが成立するとしたら、ラップがどんなものでもエモラップと捉えることができるはずです。Ski Mask the Slump Godのようにエモラップの中心に近いところにいたものの、パイオニアとしての評価を受けていないラッパーをこれによってうまく評価できるようになるかもしれません。

いくつか仮説を立てたところで、「エモーショナルなラップ」というエモラップ定義を、「ラップまたはビートのいずれかにロックとトラップの要素がある、どこか悲しげなムードを纏った音楽」と工学してみます。そこで、この定義に当てはまりそうな曲を一般的なエモラップと並べたプレイリストを作ってみました。

インストのエモラップ、メロディアスではないエモラップ、レゲトンのエモラップ、トラップ要素を取り入れたロック……などなど、様々なタイプの音楽が何か軸を持ってまとまったような気がします。もはや必ずしもラップが乗るわけではないので、こうなってくると「エモラップ」という名称も適切ではありません。そこで、一番無難なフィーリングの部分から「サッド・ミュージック(sad music)」と名付けたいと思います。

この定義では、「ヒップホップ/ラップのサブジャンル」という枠に囚われず、より広い視点で音楽を聴いて共通点を探っていくことを提案しています。懸念点としては、異なる文脈の音楽を同じもののように扱うことで、それぞれの音楽が生まれた背景の軽視に繋がりかねないことなどがあります。仮にこのサブジャンル(?)が浸透して語られるような事態になった場合は、個別のルーツがきちんと尊重されているか注意深く確認していく必要があると思います。

この記事ではかなり駆け足で行いましたが、本ではより丁寧に概念工学を行っています。今回私はサブジャンルを捉え直してより広い音楽にも適応できるようにしましたが、こういった試みは音楽の制作者が行った方が何か面白いものが生まれそうです。また、今回は概念工学を行いましたが、本ではそれ以外にもヒントになるようなことが多く紹介されています。今回私が行ったようにプレイリスト作りにも役立つので、より音楽を楽しむためにも是非読んでみてください。

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