完璧じゃないといけない理由
こんばんは。35歳二児のママ、瀬野理沙です。
『完璧』この言葉は私にとって麻薬のようなものでした。人は完璧にはなれない。
けどならなきゃいけない。それは、そうしないと生きてこれなかったから。
35年間その幻の自分と歩んできたこと、それによって自分を苦しめていたこと、失ってきたもの、そして気付いた今のお話しをします。
子どもから見ていた社会あるあるなので、そもそも落ち着いて話聞いてたのー?とか、先生が言ってるのそこじゃないんじゃないとか大人になるとわかるのですが。
間違いは晒され、違いは否定されるとインプットされる幼少期
絵を描いたり、作品を作るのが好きだった幼少期。
図工の時間、先生の説明の表現と違う表現をしてしまったため、クラス全員の前で「はい、これが間違いです、こんなことしないようにー」と、晒した後、「もう仕方ないんだから、その続きで描きなさい」。そして、完成後はもちろん、その”間違い”もクラスの後ろに掲示して一定期間晒され続ける。
校舎内のスケッチの時間、私は木の幹の皮が1枚づつ形も色も違うことが綺麗だなぁと思って、1枚1枚皮を描き校庭の木のスケッチを完成させた。
頑張った、力作だ!先生に持っていくと、「スケッチってもっとこうブランコとか、木だったら体育館と描くとか、、」と他の子の絵を見せて”間違い”と”正しい”の説明が始まった。
試合は優勝以外はみんな負け、勝たなければ意味はないとインプットされる習い事
習い事、スポーツの世界はみんな優勝を目指すので、もちろんそうなのですが、
ガタイも良く、負けん気も強かったため、男子チームの大将をしたり、代表戦に出たり、、で、負けると、怒られる。叩かれる。無視される。補欠の親からは「女子のくせに」と。
テストは98点は100点じゃない、98点の頑張りより取れなかった2点が気になるテスト
後の2点なんで間違えてるの?出来なくてごめんなさい。
習い事で褒められても学校で表彰されない、評価されないのは意味がないとインプットの習い事
今日先生に褒められてお手本にちょうだいって言われたんだよ!
習い事で褒められるのになんで学校の表彰は全然されないの?
頑張っても点数が、目に見える評価が、結果が出なければ、褒められなければ、期待されなければ、意味はない
ない、ない、ない、ない、ない、何をやってもない方ばかり。
何をしてても楽しくない。期待に応えようと頑張るけど、出来ない。
「頑張るから」「今度はちゃんとやるから」
でも結果が伴わないと、「嘘つき」
本質の楽しみよりも人の目を気にするようになる
常に大人の目が気になる。評価が気になる。
習い事の練習中「よし、いいぞー」の監督の声にちゃんと出来てるんだと確認。
「理沙ちゃん強いねー」別チームの保護者が母に伝えてるのを聞いて、良し。
その場で出来ることは出来るけど、コツコツ積み上げるものは、、、
ピアノの先生「前回の所から進んでないけど、、、」
”だって練習してないから弾けるわけない、、”と練習しないことを正当化。
努力をせずにその場しのぎで誤魔化すようになる
とりあえず、ここをやっておけば、、、その場しのぎだから行き当たりばったり。
うまくいっても再現性はない。うまくいかなければ出来なくてごめんなさいと自己否定。
いつしか『誤魔化し』を『出来てる』とすり替えていた
出来なければ自己否定。上手くいってもその場しのぎの自分をまた否定。
着実に進んでる気はしないから、いつまで経っても自信はつかない。
人の目を、評価を気にして生きてきたから、人からの評価がなければ不安。
出来る自分じゃなければ価値はない。
そうやって生きてきた35年
もちろん、ここに書いてある事だけじゃなく、やってきた事、継続してきた事もたくさんある。けど、誤魔化してきた人生は、成長のチャンスを失った。色んな人の信用も失った。何より『自分の信用を失った』。
今までの生き方に気づいた今、誤魔化しの人生に終止符を、そして地に足をつけてありのままの自分と歩んでいく人生へ。
「これ、出来る?」「やった事がないので、教えてください」
「ここまでに出来る?」「すみません。検討がつかないので相談させてください」
始めから出来なくていい、知らなくてもいい、やった事ないのなら聞いてみよう。
出来るように聞こう。自分ひとりで解決しようとせず、周りを頼ろう。
知らないのなら知る努力をしよう。出来るようになる努力をしていこう。
私は価値のある存在。出来ないことがあっても、完璧じゃなくても価値があることに変わりはない。
もし今、完璧でいなきゃいけない自分で苦しんでいるのであれば
完璧を目指して努力することは素敵なこと。でもそれで苦しんでいるのであれば、
まずは価値のある自分を自分で受け入れて、認めよう。
始めから出来なくても大丈夫。知らなくても大丈夫。
本当の自分はどんな自分?心の声は何と言ってる?
この投稿が1人でも多くの方の心をほぐすお手伝いになれたら嬉しいです。
私の恩師がよく伝えてくれる。「我以外皆我師」。
自分以外の全ての人や物事、見聞きしたことは全て自分に何かを教えてくれる師ととらえ、あらゆる出来事から謙虚に学ぶ姿勢の大切さを示している。