
BUMP OF CHICKENの藤くんに会えた高3の冬
初めまして。
時々自分の心の中に生まれた気持ちや、過去の思い出を誰かに聞いて欲しいと思うことはありませんか?
友達や同じ共通の趣味を持つ人に聞いてもらうのもいいのかもしれないけれど、そうじゃなくて、ただただ誰かに聞いて欲しいという気持ちです。
今これを読んでくれている、あなたに聞いて欲しいと思い、この手紙を書くことにしました。
口語調で書いていくことをご了承ください。
あなたに大好きなアーティストはいる?
私は、BUMP OF CHICKENというバンドが大好き。
今日は、そのBUMP OF CHICKENとの出会いについて、聞いて欲しいな。
私は高校生の時初めて人間関係に悩んだ時に救ってくれたのがBUMPだったの。
悩みといっても思春期らしい、今思えば恥ずかしいよくあるちっぽけなもの。
友達との輪に1人だけ笑えなかったり。
「誰も自分の事なんか分かってくれない」
私に理想の娘像を求める母に対して、それまでは喜んで貰えるよう振舞ってたのに、期待される姿でない私は娘ではないの?と無視したり乱暴に応えたり、反抗するようになってった。
とはいえ、住む家も食べる物にも困ってないのに、今思えば贅沢な悩みだったなぁ。
ずっとモヤモヤイライラしてた時に、無性にBUMPの天体観測が聴きたいと思ってから、学校の帰りにGEOへ行ったの。
でも、何故かシングルコーナーで天体観測は見つからなかった。
だからアルバムコーナーへ。アルバムコーナーにはちゃんとBUMP OF CHICKENの文字ケースの横にいくつかアルバムがあった。天体観測が入っていたアルバムを見つけて早速レンタルして家に帰った。
あんなに天体観測をと切望してたんだけど、アルバムに入ってる天体観測を一曲だけ聴くことは何故かしなくてね。
ちょうどテスト期間中だったから、部屋で勉強しながらアルバムを全曲リピートしてたのね、ひたすら。歌詞カードも見ずに延々と。
そうしたらね。
本当に何十回と聴いてると、だんだんメロディーも頭に入るし、歌詞カードを見てなくても、声が聴こえてくるのね。歌詞が頭にダイレクトに届いてくるの。
そうした時に、「えっちょっと待ってこんな事歌っていいの?!」て思うものがあったのね。
私に聴こえてきたボーカルの言葉は、
「人に触れていたいと願うことを恥じて」
とかで、こんな赤裸々な事を歌ってることに驚いたの。
本来ならこんなにも隠したい事を声高らかに歌っていいの?!
って衝撃がすごかったの。
なんかこの歌に心がぎゅーーーって締め付けられる感じになったの。
歌声も歌い方も、魂からの叫びみたいにヒリヒリ聞こえてたの。
で、「え待ってこのBUMP OF CHICKENてどういう歌歌ってる人達なんだっけ」「もっと他の曲も聴きたい!」って気持ちになってったの。
それで、今度は残りのアルバム2枚も全部借りるのね。
そして、ここで私はアルバム2枚目のとある曲に、音楽でこんなにも泣いたのは初めてってくらい泣いちゃったの。
それが、「K」って曲。
歌の内容を簡単に説明するとね
一人ぼっちで皆から忌み嫌われている黒猫が、ある日売れない画家と出逢って、一緒に暮らすようになるの。そして少しずつ2人は心を通わせていく歌なの。
私これを初めて聴いた時ね、人間からこんなに水って出るの?ってくらいたくさん泣いたの、それに自分が驚いちゃって。
2回目もっかい聴いたの。
それでもまた泣いて。
3回目もまた泣いてね。
「いやいや待ってまって。よし今度は曲をかけずに歌詞だけ読んでみよう」
って朗読するの
そしたらまた涙止まんないの。
そこでようやく、私はこの黒猫がものすごく羨ましくて泣いてる事に気づくの。
こんな風に自分のことを理解してくれる絵描きに出会えた黒猫が羨ましくて仕方なくて。
「誰も私の事なんか分かってくれない」と思ってた私にはこの黒猫がとっても眩しかった。し、勝手に心閉ざしてる自分のどうしようない弱さにも気づいて。
そんなに頑なに一人で殻に閉じこもってなくてもいいよって、大丈夫だよって、希望にも聞こえたのかも。
私にとって人生で初めて音楽に救われるっていう経験だったの。
で、そこからBUMPにどんどんハマっていくの。
曲が好きになるとさぁ、今度は歌っている人達がどんな人なのかってのも気になってくるよね。
当時BUMPは地上波に一切出てなかったのね。
音楽雑誌とか、テレビだとスカパーとか、そういうのからたくさん見てBUMP OF CHICKEN4人の事を知っていくの。
で、知れば知るほどこの4人の事が大好きになってくの。
とりわけ作詞作曲をしてるボーカルの藤くんの言葉は、いつも私の心を掴んで離さなかった。
ずーっとBUMP漬けの生活をする中でね、
同じくBUMP好きだというお友達にも出会えてね、
そこからまた一気に高校生活が楽しくなってったの。
分かり合える友達が出来てからは、またますますBUMPの良さ、好きな所、歌詞の考察とか、そういうのを話すようになってくの。
それこそ朝のおはようから始まり、休み時間も「この歌のこの歌詞のこの意味ってさぁ…」みたいな、もう誰も輪に入って来れないレベルでずっとずっと喋り倒してた。楽しくて仕方なかった。
音楽雑誌は、現在売ってる物は全部読み尽くしちゃったから、彼らの過去が知りたくて、バックナンバーを全て取り寄せたり(全く出番のなかった、溜め込んだお年玉大活躍!)、
それでも手に入らないものは図書館に行って借りてコピーしたり。ブックオフとか古本屋に行けばまず音楽雑誌コーナーに一直線に向かって、BUMPの記事が載った雑誌がないか探したよ。ほんの1ページでも掲載されてたら迷わず買った。
すぐに見返せるようにBUMPや藤くんのインタビュー記事はコピーして自分だけのスクラッチブックを作ってったの。
その頃にはもう好きな曲はほとんど暗記してて、空で歌えるほどで、授業中も歌詞をノートに書いて、一人感極まって泣いたりしてたの。
通学の時や、外にいる時、自分の頭の中だけで曲を頭から終わりまで何度も再生して鳴らすの。もうその頃はドラムやベースの音まで全部覚えてて。
その上で手書きで歌詞を書いてる時、自分の身体で再度曲を生み出す感覚になるよね?またその曲の最奥にある表情が見えたりして泣いちゃう。あぁ、こんな意味があったのかって、ブワッで泣いちゃう。
また新たにその曲の良さを見つけて、友達に手紙を書くの。
B5ルーズリーフ5枚くらい。
もう1回に渡す手紙の文章量じゃないよね。でも手が止まらないの。また友達も友達で反応を返してくれるから、またそのお返事を書くでしょ、もう延々続くの。
最後はお互いの手紙を一度返却し合って、自分の書いた手紙をそれぞれコピーしてるの笑
思考の整理!と自分で自分の文を読み返して、また泣いちゃうの。「あぁ、この時私はこんな気持ちでいたのか」て。
こんな事を毎日続けるのよ。
とんでもない熱量だよね。
BUMPは私の生活の全てになってった。
スカパーではBUMPの特集を録画して友達に見せて。オフショットやインタビューなんか見て「この時の藤くんのこの笑顔が素敵」「このライブでのこの曲をこんな風に言い換えて歌ってる」「この時の藤くんのインタビューでの気持ちはこんなんだったんじゃないか」とか細かいところいっぱいいっぱい話すのよ。もう楽しくて仕方のない毎日。好きな人の事を好きな人と延々語れるんだよ。こんな幸せってない。
でね、毎日まいにちこーやってBUMPを聴いて好きな所を語っているうちにね、段々と、好きを通り越して、こうやって彼らと同じ時代に生まれて生きていられる事に感謝するようになるの。
同じ時代に生きられてほんとに幸せだなーって。
同じ時代に私を産んでくれた両親にも感謝の気持ち沸くの。
BUMPの音楽に救われたからね。
なんか、本当にね、藤くんにね、ありがとうって気持ちでいっぱいになるの毎日。いつも。こんなにも貴方の音楽に救われてるんですよ、ありがとう、て。
いつか藤くんに会えたらいいよねって友達とも話すの。
その時に、ありがとうと大好き伝えたいよねって。
そしてその夏、新作のアルバム「ユグドラシル」が発売されるの。
もうこれがまたとんでもなく良くて。
これまでのアルバムとはまた違う、ひとつのBUMPの到達点とも言えるアルバムだった。
サウンドも歌声もそれまでとまた違ってた、何段階も上にいってるような。
一番BUMPに夢中になってる時に新作アルバムに触れられるなんて、もうそれが奇跡だと思った。
既に4年ぶりのアルバムだったんよ。
BUMP漬けになってるこの生活このタイミングでのアルバム発売も、私には私の為にあるんじゃないかと思うほどだった。
このアルバムを通してね、
BUMPは、藤くんは「人は絶対的に孤独」って事を歌い上げてくれたんよ、声高らかに。
これが私には何よりの救いだった。たった一つの真実が希望みたいになった。
一つひとつの曲がまたいいのよ。それぞれがこの曲順でないと有り得ないと言うくらい、カチッとハマってて、全部通しで聞いた時にはなんかもう違う世界に連れてかれた。
違う世界、てのもなんか正しい表現じゃないな、自分の心の奥深くにある世界、確かにそれは自分のなんだけど、普段は見過ごしてしまうしなかなか行きたくても行けないし辿り着けない場所。そこにまで潜っていける感覚。
曲調はとっても爽やかで明るい疾走感溢れるナンバーなのに、最初の一行目から、
「そしてその身を どうするんだ
ほんとの孤独に気づいたんだろう」
って心にぶっ刺してきてたり、
とてもとても優しくて胸に染み入るようなメロディーを奏でながら、
「愛されたくて吠えて 愛されることに怯えて
逃げ込んだ檻 その隙間から 引きずり出してやる」
って歌ってくれるんだよ。
一見言葉で読むと厳しく聞こえるかもなんだけど、
私には抱きしめてもらってるみたいに優しい歌詞だった。歌声にメロディーを乗せるから、それは言葉じゃなくて歌詞って言うんよね。ただ抱きしめられる感覚なんかじゃないのよ、心臓の鼓動ごとぎゅってされてる。自分では醜い姿だと思ってるところ正にそこに触れて包んでくれる感覚。こんな優しい事歌ってくれる人がいるなんて。
生きてると何か2つのうちどちらかを選択しなきゃいけない事があるじゃない?
より大切な方を「重要で重たいもの」と考えたとして、その2つを天秤に乗せたとしたら、
大切でない方が、天秤では上になるよね?
それを
「手に入れる為に捨てるんだ 揺らした天秤が 掲げた方を」
って歌うんだよ。
この感性なんなのって感激した。そして救われた。
大事でない方がより空高く掲げられることに。
ボクシングだって、チャンピオンはみんな拳を掲げるでしょう?天高く。天高く掲げられるものは全てが大事とされる世界なのに、天秤に乗せた時のみ、重要でない、勝ち負けで言えば負けてる側が天高く掲げられるんだよ。
選ばれなかった方に光が当たるんだよ。それだって光なんだよ。
なんでこんなに泣くんだろうってくらい泣いたよ。
ラストの太陽って曲では、隠れんぼについて歌ってた。隠れるって本当に隠れたい訳じゃない。見つからないように隠れてたって、いつだって見つけて欲しいってこと。ずっと貴方を待ってるの意味。
間奏で藤くんの歌詞にならない叫びの声は、全部ぜんぶ私の心を包んでくれるみたいだった。
こんな風に、ひとつひとつの曲が全部ぜんぶ私の中に染み込んでね、曲と私だけの関係が出来上がってく。
ますます、藤くんに会えたら、ありがとうと大好きを伝えたいって思いが強くなってくの。
でね、そんな事思ってた夏休みの日に、
また本屋さんで音楽雑誌の最新刊、それもBUMP特集の!を見つけて買うの。
家に帰ってから読めばいいって思うじゃない?
もうね、その時間すら惜しいのよ。
本屋で見つけてすぐ、「これ買うから、いいよね。」と立ち読みするの。
その時の藤くんのインタビューがね。
こんなんだったの。
「有難いことに、よくね。ファンレターを頂くんですよ。その時に、こんな言葉を貰うんです。『貴方の音楽に救われました。ありがとうございます』って。とても有難い言葉ですよね。けれどね。僕はこれ少し違うんじゃないのかなって思ってるんです。だって、これだけ世に色んなジャンルの音楽が溢れている中でね、僕らを見つけてもらってね、そこから自身が悩んでたりする事の解決の糸口みたいなものを僕らの曲から感じ取ってくれて『救われた』と感じてくれるのであれば、それはそういう風に感じる事の出来たあなたの能力なんですよ。すごいのはあなたなんですよ。ありがとうの気持ちを持っているのは僕らの方なんですよ。」
こう言ってたの。
私これ立ち読みしながらボロボロ泣いちゃって。
だって
自分がとても辛い時にBUMPに出会って、
その音楽に救われて、ありがとうって、
こんなにもありがとうって思ってるのに、
そんなこちらの思いさえ藤くんは
「すごいのは君なんだよ。ありがとうは僕の方なんだよ」って言ってくれるのかと思って。
なんて人だろうと思って、涙止まらなかったよ。
そのままこの雑誌を買って、自転車のカゴに入れて、なんかずっと泣きながら自転車漕いで帰ったもん。
そして夏がすぎて冬に入る直前の秋頃かな。
BUMPが金沢にライブにやってくるの。
夏にユグドラシルのアルバムを発売していて、それと同時にツアーをやる事も知っていたから、
友達とチケット取りたくて奮闘したの。
今みたいなネットとかじゃないのよ
あの頃はチケットぴあで取るんよね笑
そう、電話!!笑
チケット販売開始の土曜10時に、友達と公衆電話と家電の子機を持ってかけまくるんだけど、開始から30分間1度も繋がらず。やっと繋がったと思ったら「完売しました」のアナウンスが流れて撃沈したんだー。
BUMPのチケットほんとに取れないんよね。
でね、チケットは取れなかったものの、BUMPが金沢でライブする日程は当然知ってるからね、その日模試の帰りに友達と一緒に「ライブ会場まで行って、せめて雰囲気だけでも味わおうよ!」て事になるの。
BUMPって今でこそドームとかでツアー組んでるけど、当時(2004年)はまだほんとに小さいハコでやってたの。
金沢の片町っていう繁華街にある小さなライブ会場。
自転車置き場に自転車を止めて、歩いてライブ会場まで向かおうとするんだけどその時にね。
少し離れたところにあるマックの看板横に、
藤くんが立ってたの。キャップ被って一人で。
周りは誰も気づいてないのよ。
私には藤くんだけ風景から浮かび上がってるくらいに目立って見えてるのに。
私藤くんが視界に入った瞬間びっくりしてその場でしゃがみこんでしまって。
友達が「梨絵ちゃん、どうしたの?」って聞いてくれて。
「どうしよう。あそこのマック、あそこに藤くん立ってる。」て伝えて。友達もびっくり。
そこからは、気づいたら2人で手を繋いで藤くんの所まで歩いていったの。それもとってもゆっくり。緊張してたからね。とはいえ女子高生2人が手を繋いでじりじりと藤くんに近づいてくって、今思えば藤くんからしたらものすごく怖かったかもだよね。
そんな事を考える余裕もなかったよ
藤くんの真ん前まで行ったところで、
友達が泣きそうな声で「藤くんですよね?」って聞くの。
友達も泣いてるんだけど、でも友達が頑張って勇気を出して聞いてくれた事に本当に感謝だよ。
私はもっと泣いててそれどころじゃなかったから。
藤くんは「あっ」て感じでキャップを少し上に上げて私達を見てくれるの。
最初聞いてくれた友達ももう泣いてて、私もずっと泣いてて、
藤くんからしたら、いきなり目の前の女子高生2人が泣いてるからわけわかんないよね。
でも、藤くんはこういうファンたくさん見てきて知っててくれてんだよね、きっと。
ずっと泣きじゃくってる私たちに、藤くんの方から
「今日ライブあるんだ」って話しかけてくれたんだよ。
その藤くんに対して私なんて言ったと思う?
「そんなのずっと前から知ってるよ!」
って怒るみたいに言っちゃった。泣いたまま。
藤くんはハハって困った顔で笑ってた。
その後、藤くんの方から「握手しよう」って言ってくれて、スカパーで何度も観て憧れていた、ファンとしてた握手を、私達にもしてくれたの。
マックからスタッフさんが来て「藤原さんそろそろ」
って言われて「じゃあねバイバイ」って藤くん言ってくれて別れたんだ。
藤くんと別れた後、2人で抱き合って泣いたんよ。
「夢じゃないよね」って。
この話を母にする事で、母へあった反抗心みたいなのもなくなって、また普通に話せるようになったりしてね。
藤くんに会えたことは私の一生の思い出のひとつだよ。
でもね、私これとっても大切な思い出であると共に、実はどうしようもない後悔もある思い出でもあるんだよ。
だってずっとずっと藤くんに会いたいと願っていて、
いつか会えたら「ありがとう」と「大好き」を伝えようって思って、実際会えたのに、
一番伝えたかった言葉「ありがとう」も「大好き」
もなんにも伝えられなかった。
一生に一度のチャンスだったのに。
藤くんに会えたこと、これだけ見れば本当に幸せでありがたい事だよね、それしかない。
でも一番伝えたい事言えなかったんだよね。
でも時が経ってね、そんな私の気持ちごと藤くんはきっと分かってくれてるんだろうなと、今は思えるようになったよ。
私にとってBUMPって、心の鍵みたいな存在。
この鍵があればいつでもその扉は開くし、どこにだって行けるしどこまでも行けるみたいな。
BUMPの音楽と出会ってもう24年目だけど、変わらず今もガチ勢です。
いつもね、言葉にできない自分の思いを藤くん歌ってくれるんよね。
新曲が出る度、それがちょうどその時の自分の気持ちとリンクするのよいつもいつも。
私の為にだけ歌ってくれてるのかなってくらい、
なんで藤くんはいつも私の心が分かるんだろうってくらい、
私だけの曲になる。
きっとBUMPの曲を愛する他のみんなにとってもそうなってるんだろうなって思う。
聞いてくれて、読んでくれてありがとう。