赤い屋根のドールハウス
私の中に母性を感じると消えたくなる。私の中に女を見ると消えたくなる。
私は私のもつ母性を捨てたい。
赤い屋根のドールハウスは母から譲られた。母は母から、つまり私の祖母からドールハウスを譲られた。
私はそのドールハウスをいずれは自分の子に譲るつもりでいた。
母からそう聞かされていたから、私も例にならって自分の子どもに譲ることが当たり前だと思っていた。
中学生の時。
赤い屋根のドールハウスはもういらないか、と母から尋ねられた。私は使わなかったが手元に置いておきたかった。将来、子どもができたときに譲るつもりだったから。
しかし、母は不倫相手の娘に渡したいそうだった。
あの子なら大切に使ってくれるだろうから。
いらなくなった。あの女が1度でもあの子に渡したいと思ったドールハウスなどいらなくなった。
それからドールハウスが目に入るたびに自室が悪い空気に汚染されていた。
全て渡すことにした。人形も食器セットも全ていらなくなった。
はやく渡してしまいたいと思っていたのに、学校から帰ってきてドールハウスがなくなっているのを見ると声を上げて泣いた。
部屋をひっくり返したようにぐちゃぐちゃにした。
付き合わないかと同級生の男の子から言われた。もう自室は汚れきっていたから、異性を招いてもどうでもよかった。
彼は私に触れた。人間は触れ合って子どもをつくりドールハウスを子どもに渡す。
私はドールハウスを持っていなかった。
恋人といるとき私は女役に徹するしかなかった。ドールハウスを持っていない私は女役を上手く演じられなかった。
結婚は?子どもは何人ほしい?
母性に触れると消えたくなる。吐き気がする。
歪んだ母子像。母乳の香り。犬も牛も鳥もみんな母になるのに、私はなれない。私は子どもを愛し続ける自信がない。私は私の母性を信じられない。
赤い屋根のドールハウス。木製の扉を開く。お気に入りの人形と食器棚、机、箒、バスタブ、ソファ、カーテン、ランプ、ベッド、カーペット、化粧台。
私はドールハウスを持っていないから、母親にはなれない。
腐れた私の母性はどこに吐き捨てればよいのだろう。