希死念慮、わたしは変。
私は変なのか。
おかしいとか、空気読めないとか。
時々いわれる。
私は変なのか。
昨日の自分はおかしかったなって思った次の日、いや昨日の自分もおかしかったぞ。ってなる。
だけど今、生きてる今。
普通に真っ当に正しくて宇宙の正解。私は筋が通っているような気がしている。
当たり前に希死念慮は、社会的におかしい。
私の脳みそが宇宙なら、私は正しい。
今、普通に楽しそうに生きている人から見れば私は変。
私がそっちにいったら、また思う。
昨日の私おかしかったなって。
毎日繰り返す。
変じゃない。毎日変かもしれない。
助けてほしい。
しんじゃだめって言う人は気づいていない。
お母さん。
悲しいから寂しいから。
お腹を痛めて産んだから。
ご飯を与えて育てて愛着が湧いたから。
子どもだから。
命は大切だから。
他人の命は大切。
人がしんでしまうと私たちは悲しくなってしまうから。
私の命は私にとってなんだろう。
しんだら悲しいも何もない。
みんなに悲しい思いさせたくないから。
心臓も脳みそも止まった私は、
みんなに悲しい思いをさせても、何もない。
私にしんでほしくないって言う人は、
悲しくなるから言ってる。
私もみんなにしんでほしくない。
悲しくなるから。
利己的にしか考えられない。
どこまで人は醜いんだろう。
孤独だって、そりゃ当たり前だ。
他人のことを考えられない。
会話をしていてもわからない。
何を考えているのかわからない。
見当違いのことを言われるとこの人は誰に向かって話しているんだろうって。
Aを言ったら次はB。
Aを言われたらBを返す。
この世は無機質で寂しい。
心の底から共感できたことはあるのか。
音楽とか小説とか感動した。
どうしよう。私が共感したつもりだったら。
同じ宇宙に生きていると思っていた音楽家が小説家が別の宇宙の人だったらどうしよう。
そうしたら本当に生きていけない。
私がもう1人いたとしても孤独だ。
脳みそと脳みそがくっつかない限り。
私には私の脳みそを身体の外に表現する力が足りない。
くるしい。ずっと膜が張っている。
脳みそが重たい。
助けてって言っても伝わらない。
希死念慮の正体。
もういいから、脳みそが身体から出たいからって。
足りないまま生まれてきてしまった。
はやく解放されたい。