飛ばなくてよかった


 高校の頃の私は頭がよく動いていなかった。教科書は読めなかった。人の話は知らない言葉みたいだった。
 先生がHRで明日持ってくるものを話していた。
 最後まで聞いていてもよく分からなかったので先生に尋ねた。
 またあなたかって顔をされた。みんなの前で怒られた。
 そんな国語力では受験でうんたらかんたらって言っていた。進学校だったから先生はいつも大学受験の話をしていた。

 学校に来なくなった友達がいた。久しぶりに電話をしたら、私が実はクラスメイトから嫌われていることを教えてくれた。そんなことを言われなくても気づいていた。

 定期試験を解いていた。問題が読めなかった。何を書けばいいのかわからなかった。漢字が書けなかった。自分の名前は辛うじて書けた。中学までは勉強ができたのにおかしくなってしまった。解答用紙は白紙だった。

 定期試験の結果が出たら担任の先生が怒っていた。このクラスは学年で1番の進学クラスなのに下のランクのクラスに平均点を抜かされたから怒っていた。
 先生が私の方を見ていた。

 お弁当を食べるとき、移動教室のとき、1人でいることが恥ずかしかった。前を歩いているクラスメイトが私の方を何度も振り返ってヒソヒソ噂話をしていた。

 学校終わりの塾は落ち着く場所だった。成績がどんどん下がっていくから心配されていたけど、塾の先生だけは信頼できる大人だった。勉強しすぎるのは良くないって言ってくれた。
 でも私は勉強していなかった。紙に字を書いていたけど、何を書いているのかはわかっていなかった。
 でも塾で紙に字を書いている時間が1番落ち着く時間だった。
 塾の先生から学校のことを聞かれたから、担任の先生が嫌いなことを話した。笑っていた。

 家に帰ったら母は私よりおかしくなっていた。奇声をあげている。泣いている。私が勉強も学校も部活も何もかも上手くできなくなってから母はおかしくなってしまった。家の中では普通にしているしかなかった。

 母が夜ドライブに出かけることが多くなっていた。私の顔を見たら現実を思い出してしまうから、家にいたら気が狂ってしまうからだと思う。海に落ちてくるとか気が狂うとか言って家を出ていった。
 私も車がほしかった。

 学校を休んだら母は中学の時の先生を家に呼んだ。私がまだ優等生だった頃の中学の先生に会えば私の頭が治ると思っているようだった。でも、根本的な問題は高校入学よりもずっと前から積み重なっていた。
 中学の時の先生は、良いお母さんなんだから迷惑かけちゃいけないよ、と言って帰って行った。
 私は1週間休んだ後学校に行った。

 久しぶりに学校に行ったら母は喜んでいた。
 大人は単純だった。

 精神科に行ったら母が熱心に私の話をしていた。私は病院の先生と少し話した。

 学校に早く行くようになった。
 誰よりも早く学校に着かないといけなかった。誰かがいる教室に入るのが怖かったから、私が1番に教室に入らなければいけなかった。本を開いて紙をめくった。繰り返した。もう私には理解できなくなった文字が並んでいた。同じ本にブックカバーをつけて何周も何周も紙をめくった。

 放課後は塾へ行って勉強した。勉強というより紙に字を書いているだけだった。だけど紙に字を書いているときだけは安心した。小学生の頃から成績が良いことだけが取り柄だった。
 家に帰ると気が狂いそうになるから、塾の先生が電気を消すまで自習室にいた。
 塾の廊下に張り出されている先輩たちの合格体験記を見て涙が出た。嫌な文字に限って頭に入ってきた。頭がずっと痛かった。
 勉強ができなくなった私は価値がなかった。塾の先生からも嫌われているかもしれないと思った。
 塾の終わりに同じ学校の先輩が先生に私の話をしているのを聞いてしまった。私のことを変だと言っていた。塾の先生にまで頭がおかしいと思われるのが嫌だった。

 片道20分もしない道を1時間以上かけて帰った。同じ道をぐるぐる回ったり、遠くのコンビニに寄り道したりもした。橋の上から川底を見て笑った。なんだかとても面白かった。

 定期試験が近づいて逃げたくなった。今度こそ大人たちに見放されるに違いなかった。
 同級生からも笑われて特待生も取り消される。そしたら学費を払わないといけなくなって親に怒られる。学費がタダになったから私立に行かせてもらえたのに、特待生じゃなくなったらダメだった。それなら公立の高校に行けばよかった。もう少し自由にやれたかもしれなかった。眠れなくなったら、余計に文字が読めなくなった。

 なんとか定期試験を受けなくて済む方法がないか考えた。飛ぶしかなかった。
 もう何度も飛ぶことを試みていた。下から見れば低く見えるのに上から見れば高く見えるのは不思議だった。

 HRが終わって教室から人がいなくなったことを確認した。窓を開けて手すりに足をかけた。
 音楽室からピアノの音が聞こえた。私も昔は弾いていたのに高校に入ってからは触っていなかった。夕日が綺麗だった。
 猛烈に今飛ぶしかないと思った。
 その日の地面はいつもより近く見えた。アスファルトの匂い、硬さ、熱が伝わってきた。
 絶望は波になって訪れる。私はこのとき最も沈みきっていた。先生が親がクラスメイトが背中を押してくれていた。

 窓から身を乗り出した。向かいの校舎の教室に男の子が3人いるのが見えた。そのうち1人が私を見ていた。
 目が合った。このまま私が飛んだら、この子だけは一生覚えていてくれるのかな。それだと少しうれしい。

 よく聞こえなかったけど、男の子が何か叫んだ。飛び降りるなよって言った気がした。

 飛んだらバンって音がして、私の身体は大変なことになるから、男の子はそんなの見たくないんだと思った。

 でも見てほしい。私が辛いこと、あなただけには知ってほしい。あなただけでも私のこと覚えていてほしい。私の本当の姿を見てほしい。   
 自己中。って言われるかな。

 廊下を歩いてくる先生が見えた。

 つまらない。

 私はよくわからなくなった。近かったように思えた地面は遠くなってしまっていた。わからない気持ちになった。結局飛べなかった。

 今でもときどき無性に飛びたくなる。本も読めるし紙に文字を書いて勉強ができる。進学してから特待生も復活した。友達もできて趣味もあって毎日それなりに過ごしている。
 でも、辛いことがなくても今日何食べようかなとか夏休みの旅行楽しみだなとか考えながら窓に吸い寄せられるときがある。
 後遺症みたいなものだと思う。

 下から見たら低いのに上から見たら高いのはやっぱり不思議だ。
 翼がついていたらって妄想をするときもある。人間に翼がついていたら、自分からこの世界とおさらばする方法は少なくなってくる。
 たぶん私の予想では人間は結局生きたい生き物だから、決意して飛んでも落ちる前に翼が勝手に動き出してしまうと思う。

 あのときの私は生きたかったから、きっと飛んでもダメだった。落ちる直前に後悔したと思う。あーなんで飛んじゃったんだろうって。

 飛ばなくてよかった。また飛びたいと思うだろうけど、あのとき以上に地面が近づいて見える日はない気がする。
 私はたぶん生きたい。生きたくて仕方ないのに中途半端に夢想家な脳みそが勘違いして空回りしている。私には翼なんてないのに背中に何かついている気がしている。



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