「スマホゲームより 勉強しなさい」と親は言うけれど…
学習支援を通じて得た知見を基に色々書き始めて七週目になりました。
学習支援をしていると一教室に2~3人は学習時間中にスマホゲームをしている生徒が見受けられます。ここから先は単に「ゲーム」と記入しています。
たいていの場合 そうした生徒は学習支援者からの声掛けを無視したり 近くにいる生徒にちょっかいを出したりして「こまったちゃん」化しており 学習支援者からは持て余し気味の存在になっているようです。
生徒の保護者にお話を伺うと「ゲームよりは勉強させてほしい。無駄な時間をなんとかさせたい。」と異口同音に語ります。
つまり 保護者からみると
「ゲーム」=遊び=刹那的な楽しみ=将来性がない=すべきでない事
勉強=知識を得る=いい学校に入れる=将来に有利=しなければいけない事
という方程式が成り立っているようです。
こうした考え方は 一見正鵠を得ているようですが 生徒側から見直すと「それで いいのかな?」と疑問が湧いてきます。
生徒がなぜ学習会に来てまで「ゲーム」に夢中になっているのでしょうか?
そして 「ゲーム」をすることは そんなに良くない事でしょうか?
学習会で「ゲーム」をしている生徒には いくつかタイプがあるようです。
①定時に出席し学習教材を持参。学習時間内は学習するけれど 休憩時間には「ゲーム」に移行。
②定刻には出席するが 学習教材は持ってきたり来なかったりで それよりも「ゲーム」に熱中。
③事前連絡では出席だけれど 来るか来るかは本人次第。学習には無関心で「ゲーム」画面に集中。
④学習会への出欠席は不明のまま 定刻よりかなり遅れて出席し そのまま「ゲーム」に没入。
こうして分類してみると ①から④に向けて保護者の学習会への認知具合や生徒の参加意識と持ち物等から判断し 学習への向かい方が薄くなっているようです。
但し 中には色々な塾に通っていて心底疲れてしまい 学習支援が唯一の逃げ場になっている生徒もおり 一概に区分けはできませんし 最近は休校があったりして 学習のきっかけを失った生徒も見られます。なので 個々の生徒の状態から類推し 相応の対応を試みるのが 学習支援者として腕の見せ所になっているようです。
さて 「ゲーム」をすることは良くない事なのかと言う点ですが この文をお読みの皆さんは 小さい頃 何かに夢中になった事はありませんでしたか?
私は昔から本を読むことが好きで 小学館の「小学●年生」や光文社の「少年」なんかに夢中になって過ごし 中学になった頃 初号の出た「少年サンデー」や「少年マガジン」の虜になりました。だから親からは「マンガばっかり見てないで 勉強しなさい」と言われた世代です。
でも 今振り返ってみると そうして過ごした時期があるから 絵も文字も写真も映像も それなりに受け取れるし 相応に理解していると思っています。そして 親の価値観で日常を縛られなかったことを 改めて感謝しています。
こう考えると 私の育った時代には無かった「ゲーム」ですが その存在意義を自分たちの価値観で 一方的に判断するのは どうも得策ではない気がしています。「ゲーム」そのものが良くない事ではなくって 取り組み方や取扱いの方に問題がありそうです。
では 子ども達は「ゲーム」をどう取り扱っているのでしょうか?
一番目立つのは 学習に全く興味を示さず「ゲーム」に熱中している場合ですが 少しずつ会話を交わしていると「勉強がわからないからつまらない。でもルールがわかりやすく結果もすぐに見られるので面白いからやるんだ」と言うようなところに 行きつくことが多いようです。
こんな子ども達に「1から10まで足すといくつ?」と算数でもないクイズを出すことが良くあります。たいてい 1+2+3+4+5+6+7+8+9+10 と計算を始めるので 答えが出たところで「1と10を足すと? じゃあ2と9を足すと?」と計算方法の考え方を聞き出して「さてどっちが楽かな?」と聞くと「五回足し算をした後で もう一回の足し算で答えが出る方!」となります。「算数って 学校で教えてくれないけれど クイズみたい!」となればこっちのもの!「ゲーム」にはない面白さに気づいてくれると 少しずつ学習意慾が湧いてきます。
あとは 学習の躓きに気を付けながら 伴走してゆくと大体何とかなってゆきます。
どうも「ゲーム」をすることが問題ではなくって 全体との時間配分と興味の持ち方に 解決の出発点がありそうな気がしてきました。
25 APR.2021.ARAI