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えすかえむかときいてくれ

僕の生業には色々あるが、一番嬉しい依頼は役者としてキャスティングされる事だ。
ステキな脚本ならなおさら嬉しい。
そうじゃなくても嬉しい。
だけどそうじゃない時は後から後悔したりする。
それでも役者としてキャスティングしてもらえるならなんだってやる、その心構えでいる。

そして2025年、すでに2本の演劇にキャスティングしてもらった。
強烈にやりきります、二つとも役割の大きな役なので、ピリピリします。

自分が主宰の場合が多くて、脚本、演出、出演も多い、これは若い頃にキャスティングされるのを待つのではなくやりたい事をやっちまえ自分で!
という衝動だった。
自作自演と鼻で笑われてたりもした。
忘れねぇぞ、つまんね〜野郎ども。
いやいや、とがってみるのは、嫉妬です。
僕だってね撫で撫で抱きしめて欲しかったもん。
こんなだからね、愛のない恋愛ごっこばっかしちゃうんだよ、もーやめようね、ちゃんと大切にすべき事がわかる最近。

でねでね

役者という快感についてだよ。
基本、役者ってやつは与えてもらった役を演じる。
演じる時は、他人になるふりが出来る。
この感覚は現実逃避としてホントに美しい。
そして自分で生み出すものではなく、与えてもらったほうが得難い美しさを放つ。
役者として。

普段の劇団coyote、亀井健は、シンガーソングライターの感覚を拭いきれないもどかしさを無意識に抱えている。無意識だから手放せないままだ。

しかし、キャスティングされた僕は、それこそケモノと化す、オオカミと化す、残念ながら人に優しさも謙虚さもない、凶暴な繊細さがみなぎる。

昔は稽古場で誰かと日常会話できなかったくらい。

今も誰も話しかけてこなかったりしちゃう。

役に没頭してしまう。

与えてもらうという快感に溺れる。
SかMか、サドマゾでいうなら、完全にMです。
エムジハゲです。

高知で現実に起こった悲劇を演劇にした作品でキャスティングしていただき、脚本を読んだのです。
今年は確か昭和100年です。
昭和。僕は昭和51年に生まれました。
昭和には戦争がありました。
日本は敗戦してずっと今も敗戦国です。
僕は左思想に憧れて、右思想を愛し、その後、どっちでもいいってなりました。
今、この現在に、戦争を考えるというのはかなり酷な事だなぁと思います、10年前の僕なら今とはちがうまっすぐな没頭をしたのだろうと思います。
だけど世界が変わりすぎてる。

いつか、スマホのポチリで、誰かを殺せる、逆に救える、リアルがない世界になる、今もそうなりつつありますよね。
だから、僕は見える身体に見えない魂に触りたくて触ってもらいたくて、悶えてしまう。

あの昭和20年は、ずっとずっとリアルだった、日常が世界がリアルだったんじゃないか、と悶えてしまう、役作り始めちゃいます。
快感なんで。
与えてもらうなんてキモチよすぎるんで。

まずは前夜祭で滅多に飲まない芋焼酎で一人、内面の僕と晩餐会。

なぜか頭の中に
女体盛りという言葉が浮かぶ
イヤン

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