むかしのことをおもう
たぶん30年前に初めて舞台に立った。
ドーランの匂いがこびりついた楽屋には鏡がたくさん並んでいて、役者さんの名前の札を並べていた、奥が主役で僕はこぢんまりした便所の扉の前で大勢の中の1人だった。
10代でお姉さん達に可愛がってもらい、イカつい男達は一緒に酒を飲んでくれた。
初めては楽しく、2度目からは苦痛だった。
だけど、天才とチヤホヤされて調子に乗っていた。
そしてあまりに難解な僕は難解な作品を生み出して、難解すぎるあまり、評価しとかないとねって感じで注目された。
なんで昔の事を思うのか。
学校に通う意味がわからなかった僕は家でも学校でも勉強した事がない。
興味あることだけしか覚えられないし、子供の頃の僕は、ほとんど何にも興味がなかった。
よく笑う少女がいて、その人に会いに行くと決めて学校に行った。
よく笑う少女は、亀井くんももっと私みたいにいっぱい笑ったらいいのに、と言った。
だからって笑わなかったよ。
だけど会いに行った。中学生でした。
劇団には毎日通った。
先輩の呼吸、リズム、タイミングを観察した。
声のトレーニングや歩くトレーニング、色々と先輩を観察して自分の身体に入れていく日々。
ひたすらチャンスが欲しかった。
欲しいチャンスに出会いたかったが、いつも自分自身とばかり出会っていた。
師匠のテーマは、いつだって、人間讃歌だ。
師匠最後の演出の時、僕は舞台監督だった。
客席から舞台が見にくいという事で、ひな壇を組む事にした。
師匠は打ち上げの席でそれをとても感謝した。
誰の意見だ?と聞かれたので、周りのスタッフの意見ですと答えたら、ニヤニヤしてた。
亀の脚本を演出する時はもうセットは決めてある、砂漠の中に食卓だ、と言った。
僕に初めて子供ができて、生まれた年に師匠はあっちに行った。
心を殺すと決めた時から、出会った人が産んでくれた。娘と息子が生まれてくれた。
僕のせいで人を殺してしまったから、心を殺すと決めたのに、神さまは僕にプレゼントをくれた。
あまりに偉大なプレゼントで、もう心を殺すなんて考えてる場合じゃなかったが、色々な事がぐちゃぐちゃになってた。
後悔だとか懺悔だとか、不思議とない。
出会いはまた出会いを
僕の創作の可能性を高めてくれた
生きて死ぬように
出会えば別れがある
昔の事を思う
先のことは、なんでかな、考えられないでいる。
心を殺すと決めた時、自分が作った劇団の解散があり劇団coyoteの旗揚げもあった。
終われば始まる
始まれば終わる
心を殺して始まった劇団coyoteは、今高知県に場所を移して、模索している。
二十歳で劇団を作って、35でやめて、また36ではじめて今年で49になる。
生きてきたなぁ
そろそろ稼いでみたいなぁ
ハローワーク行ってみよう
ドキドキ
初めましてだなぁ
身体がひどく鈍ってるので明日から鍛えます。
心を殺す前みたいに飛ぶように走ろっと。
そうそう、久しぶりに劇団coyoteナガムツと共演した時に、動かないって感じ、そぎ落ちた感じ、味わったんですわ。キモチよかった、アレだよアレ。