厄咲く箱庭 〜忌神と贄の花巫女(6)参.天上天花
『厄咲く箱庭 〜忌神と贄の花巫女』の第三幕部分(昨年公開したものに続きを加筆し、改めて投稿しました)
※初見の方は必ず↓
の概要をご確認の上、閲覧をお願いします。
※フィクションです。実在する名称、土地、出来事とは関係ありません。
参. 天上天花
天罰
その夜の夕餉時。いつものように、部屋でカグヤと食事を摂りながら、ずっと気になっていた事をアマリは相談した。反物の礼に何か出来ないか聞いた時の荊祟の返答が腑に落ちなかったのだ。
「……確かに、大したお役には立てないでしょうけれど…… 女中の皆様の負担を、少しでも軽く出来ると思うのです…… 気を遣って下さったのでしょうか……」
「だと、思いますよ。そもそも、貴女様は、長年の疲労が重なってか、お身体が少々弱っていらっしゃいます。初めてこの界にいらした時、長様が医師を呼ばれましたが、そのように診断されています」
自分が気を失っている間に起きていた事、知らなかった事実にアマリは茫然とした。自分の身体の件より、そんな配慮までしてもらっていた事に驚き、荊祟への感謝の念が再びわき上がる。
「『何故、尊巫女がこんな状態になっているのか』と不思議がっておられました。花能の事を知り、納得されたのではないでしょうか。それであのように申されたのでは」
今日、硯などと一緒に持って来てくれた書物を思い出す。花や植物についての書、界で有名な服飾誌、この厄界の歴史や風俗関係のものだった。
異界から来た自分を、彼は本気で自ら治める世界に迎えてくれようとしている。『好む事を探せ、この界に慣れる為に勉強しろ』……そんな意図が伝わり、泣きたい位嬉しくなった。
「今は、心身共に養生されてはいかがですか? 何をお礼されるかは、それから考えてもよろしいのでは?」
荊祟が訪れていた時、カグヤは隣の部屋で待機していた。襖一枚と箪笥などの家具を隔てての会話は、余程大声でない限り聞こえない。だが、くノ一のカグヤには、二人の関係が少しずつ変わっている事に勘づいていた。
会話が終わり、部屋から出てきた時の心此処にあらずな荊祟、そして、自分と彼の名が書かれた半紙を大切そうに見つめていたアマリ。互いの心の距離が近づくにつれ、別の繋がりが生まれ、惹かれ合っているのは明らかだ。
二人の境遇や過去を知る彼女には喜ばしい事であったが、同時に彼らの辿りゆく未来を考えると、切なく複雑な思いに絞られていた。
数日後。仕立てたアマリの着物を届けに、以前来訪した呉服屋の遣いが屋敷にやって来た。祝い事関係の注文が殺到して近頃は忙しく、直接行けず申し訳ない、と主人直筆の文が同梱されている。
出来上がった小袖は、どれも華やかで美しかった。アマリの視界一面に、再び色鮮やかな世界が広がる。カグヤや従者に勧められ、早速、一着に袖を通した。初めて自分で選んだ、薄紅の山茶花模様の着物だ。深緋の帯を締め、姿見に全身を映すと、見慣れない姿の自分がいた。現実味がなく、落ち着かない……
――『好き』を身に付けるって、不思議……
「折角ですから、外に出して差し上げてはいかがですか? ずっとこの離れにこもっていらしたでしょう?」
今日は何故か、襖の側に隠れるようにもたれていた荊祟を見やり、カグヤは促す。
「……どこか行きたい所や見たい物はないか? 民が大勢の場所は無理だが」「え……」
二人だけで、という状況に緊張と喜び半分な思考の中、精一杯ひねり出す。
「あ、花……花が、見たい、です。少しでも……構いません」
「……あるには、あるが」
口ごもった彼に抱えられ飛んで来たのは、以前に訪れた庭園から、少し離れた場所の川沿いだった。所々に水仙が咲いている。冬だからだろうが、他の種は見当たらない。
「悪いが、この界自体、あまり花が咲かない。故に、育つ作物も限られ、ほとんど他界に頼っている」
毒を含む種や、空気の悪い場所などの厳しい環境にも耐えうる草花しか育たないのだと、荊祟は説明する。藤、鈴蘭、蓮、睡蓮、百合、罌粟、夾竹桃、彼岸花……
「この厄界ぐらいだ。人族の界の負の部分と共鳴し、他の神界より多く請け負い、その警告として……俺は災い、不幸を返す」
可憐だが健気な出で立ちの水仙を眺め、独り言のように語る彼を、アマリは何とも言えない思いで見つめる。
「災厄を助長する力について、俺とて考えさせざるを得ない時はある。どのくらいの害……人族のみならず、生物や土地が壊滅して不幸に見舞われるのかは、こちら側にもわからんのだ」
「……」
「龍神界や稲荷界の長など、天候を操る神は、雲や陽の声を授かり値するだけの力を使うが…… 俺などの厄をもたらす神は……そうはいかない」
その度に災い……変動を喚び起こす。傲り故に、愚かな間違いを犯した者達に気づいて欲しく、罰を下すように。
だが、終わらない。幾年の時が過ぎても、文明が発展しても、繰り返される。何度も、何度も。犠牲になる者は自分には選べない。皮肉にも神族として赦されない。命の判断という傲慢と紙一重な選択を、個に委ねてはいけないからだ。
だから、どうにか生き延びてほしい、罪無き良心的な人族達にこそ、強く生きていてほしい。そんな願いを込めながら界を荒らし、破壊する。
だが、悲しみに暮れる者、泣く者は減らない。何も変わらない。何も救えない。……なんて無力で、滑稽で、虚しいのだろう。これでは何もしない方がマシなのではないか。
世の汚れ、嫌われ役――まさに、厄介者なのだ。
「――残酷、ですね」
「そうだな。残酷だ。地獄とは……この世だ。利用されていたお前にだって解るだろう? 持て囃されていたから信じられないか?」
返す言葉が見つからない。彼が背負って来たものの痛みは、自分のそれとは違う気がする。
「俺は、そんな奴らに振り回されるのは、もううんざりだ。なるべく関わりたくない」
心底嫌悪しているように眉間を寄せ、珍しく愚痴を吐く彼に、アマリは同情した。
「貴方様だから、です。権力に興じ、利己的に使う主は……苦しまないと思います」
瞳孔を少し見開き、荊祟はアマリを凝視した。何か苛烈な激情が、彼の内から突き出そうとしている。
「……災いや難を恐れるが故に、俺を疎み、嫌う人族はまだ理解できる。だが、大金を積むから特定の地に災厄を誘発して欲しい……そんな私怨私益を申し出てくる奴らが、たまにいる。――俺の母が、それの間者だった」
「……⁉」
絶句するアマリだったが、そのような者が存在するという事実は、何故か受け入れられる気がした。だが、自分の母親が関与していたという事を、彼は今、告げようとしている。
驚きの余りに返答できないのだと思った荊祟は、冷ややかな眼差しを彼女に向け、続ける。
「邪を憑依させ、精神を操る異能者という、禁術の尊巫女として、当時の長だった父に献上された。災厄というのは、自然界の理だけではない。人災によって起こされる事例もある。
故に、父は受け入れた。――伴侶として。異能だけではない。母に魅了され、巧みに支配されたのだ」
「……」
「やがて、俺が産まれた。その頃から母は言動が豹変し、ますます高圧的になった。間者として父に迫り、実家と癒着する組織の為に力を捧ぐよう、術を使って誘導した」
古の伝奇でも語るような、淡々とした口振りで、荊祟は続ける。
「勿論、父は精一杯、抗った。だが、完全に従属されていたのもあり、揺らいでいた。そんな企てを察した父の側近らに、母は断罪され、処刑された。己を責め、精神を完全に壊した父は、自身の力を使い――自害した」
悲鳴が洩れかけた口元を、アマリは慌てて抑える。
「その後、母と通じていた奴らが、我が一族の醜聞をある事ない事、腹いせに吹聴したらしい」
母親の形見が一つもない理由を、アマリは哀しく察した。おそらく全て燃やし、壊され……処分されたのだろう。胸がひどく痛み、瑠璃の眼に涙が滲む。なんて悲しい、まだ幼い少年だった彼には、酷過ぎる悲劇……
「そんな奴らに限って、何か遭っても、何故かしぶとく生き残る」
「荊祟様……」
「お前がやって来た時、また同じ事が起きるのではと警戒した。尊巫女の献上が母以来だった故……探る為に、きつくあたった。……すまなかった」
哀しげに詫びる、陰った琥珀の瞳に向かって、静かに首を振る。彼のせいではない。致し方無い事情だと思った。
「……それでも、あの夜……生かして下さったのですね」
「だから、それはだな……」
再度、弁解しようとした荊祟だったが、アマリの泣き笑いのような慈しみある微笑に、言葉を止めた。続きが浮いて舞い去る。
自分の意に反する行いでも、界の為になるなら治める者として厭わない。そんな彼の生き様……魂が、アマリには気高く、何よりも美しく見えたのだった。
地獄の花
まだ立春を迎えたばかりの日暮は早い。そんな季節の流れは、人族の界と同じだった。
宵に落ちる前にと、荊祟はアマリを抱え、宙を舞い飛ぶ。だが、暫く身体を動かしていない彼女を案じ、『少しは体力をつけた方が良い』と、以前も訪れた池囲いの庭園からは、歩いて帰る事にした。
今では馴染みがある道になったが、暗がりの中を慣れない着物で歩くのは心許ない。おぼつかない足取りで、心無しかゆったりと歩く荊祟の後ろを、転ばないよう必死に付いて行く。
――歩調を合わせて下さってるのかしら……?
いつもならもっと俊敏な動きで振る舞う彼が、気遣ってくれていることが嬉しく、少し息が上がって辛くなってきた状態が言い出せないでいる。
そんな中、突然、目の前に漆黒の布地が迫った。つんのめり、反射的に見上げる。
「辛いなら遠慮なく言え。止まるから」
眉や目元は変わらず鋭く、涼やかだが、少し困ったような、それでいて心配そうな眼差しでアマリを見下ろす。彼は自分よりも頭一つ分の背丈がある事に、今頃気づいた。
「も、申し訳ありません。遅れるといけないと思いまして……」
「……あと少しで帰れる。多少暮れてもかまわん」
躊躇いがちに、ゆっくりと荊祟はアマリの手をとった。自分より一回りは小さな掌に、鳥のように鋭く伸びた爪が触れ、そのまま固まった。アマリも同じように硬直する。
だが、彼とは違う理由だ。荊祟の口から紡がれた『帰る』という言葉、触れられた手に、異様に意識が集中する。
「……あ、の」
「……腕に掴まれ。足元にだけ注意しろ」
少し上擦った声で手を離し、今度は左腕を曲げつつ差し出した。視線はアマリから反れている。
「はい…… ありがとうございます」
動揺した心を抑え、今度は気遣いに甘えた。恐る恐る、彼の二の腕を羽織越しに掴み、身体を軽く預ける。
その様子を確認した後、荊祟は再び歩き出した。先程よりも、更に速度が落ちる。そんな行動の何もかもに慣れないアマリの心が翻弄する。ふわふわ、と芯から浮いているようで落ち着かない。こんな風に優しくしてもらった事も、誰かと密着する事も、記憶になかった。
気恥ずかしい沈黙をごまかしたくなり、何か話題を探す。……ふと、彼の年齢を聞いていなかった事を思い出す。確か、先代の尊巫女が献上されたのは、百年近く前だという。その後、彼が産まれ、代替えしたという事は……
「……あの、荊祟様は、おいくつなのですか?」
「神界の長は、尊巫女と契るまで年をとらん。故に成人……代替えした十七のままだ」
「じゅ、十七……⁉」
まさか年下だったという事実に驚愕する。怜利で大人びていて、威厳ある一族の長だ。年上だと思っていた。
ずっと前を向いていた荊祟が、少し顔を向け、怪訝そうに返す。
「そんなに可笑しいか」
「いえ! ただ……驚いて……」
「たかが一つ違いだろう。それに、お前より何倍もの年月を生きている」
「そう、ですけど……」
何が不満なんだと、少し拗ねたような彼に、急に親しみを覚え出してしまう。そんな自分が不思議で、本当に……可笑しかった。それだけではない。
――出来るなら、このまま屋敷に着かないでほしい……
という、自分でも理由のわからない願望を抱き出している。
「……気づいているだろうが、黎玄はもう向かわせていない。何か要望があれば、カグヤに言え」
明らかに挙動不審なアマリを、ちらり、と不思議そうに一見した後、彼自身も理解できない動揺を秘かに抑えながら、そう告げた。
その夜は、生まれて初めてと言っても過言ではない、昂る想いと喜びに包まれながら、アマリは久方ぶりに安らかな眠りについた。
だが、翌日から、次第に悪夢を見る回数が増えていった。人族の実家にいた時も見る事はあったが、大抵は疲れ切って沼に沈むように眠るか、逆に情緒が落ち着かず眠れない、という事が多かった。
夢の内容は様々で、ほとんどが抽象的だ。目覚めた時にはほぼ忘れているが、至極後味の悪い余韻と頭痛が、しっかりと残る。
何かに襲われ、追いかけられ、罵倒され…… 時には、実際に言われた言葉が、何度も頭に鳴り響く。
「昨晩は眠れず、ひどくお疲れだったようで仮眠をされていたようです。異変を察し、こちらに来た時には、ひどく魘されておいでで…… 恐ろしい夢でも見ておられるのでしょうか……」
まだ日は明るい中、どうにか寝かせた敷き布団に横たわり、「う、あ……」と呻くアマリを心配そうに見ながら、訪れた荊祟にカグヤは告げる。側の畳には、以前、荊祟が渡した書物が開かれたままになっていた。
「先程から何度もお声掛けしたのですが、お目覚めにならないのです」
「……嫌。もう、いやなの……」
掠れた声でうわごとを口にし、苦痛に耐えるように、うつ伏せのままアマリは敷き布を握りしめる。
そんな彼女を哀しげに見ていた荊祟は、少し躊躇った後、そっ、とその手をとり、恐る恐る、数本の長い指で握った。鋭い爪で彼女の柔らかな掌を傷つけないように、優しく包む。
ぴくん、とアマリの身体が震え、うめき声は少し静まった。自分の掌を包んでくれている少し固く、温かな何かにすがるように、力なくも握り返す。
「長様」
「……こうするだけなら、問題無いのだろう?」
荊祟の心境を改めて感じたくノ一は、複雑そうに、声を掛ける。彼の眼差しには哀しみと労りが含んでいる。だが、その瞳の奥には、戸惑いと共に、和かな熱も帯びていた。いずれ苦しみを伴う、兆しの想いが……
外が宵に落ちた頃。アマリはようやっと目を覚ました。
「……?」
まだ痛みの残る脳裏に、昔の自室と今の部屋の記憶が交差する。虚ろげに眼球を回すと、暗がりの中、行灯の温かな灯が映り、少し安堵した。此処は『ここ』だと認識する。
「アマリ様。大丈夫ですか?」
聞き慣れた凛とした穏やかな声に、更に気がゆるみ、張り詰めた心がほどけた。
「カ、グヤさん……」
「昼過ぎからお眠りになっていましたが、随分と魘されておいでだったので、隣から参りました」
ずっと看ていてくれたのだろうか。確か、自分は読書をしていた。寝不足で睡魔が襲ってきて、それから……
カグヤに背中を支えられながら、重い身体をゆっくりと起こす。ふと、枕元に菓子折りらしき包みと小箱、一通の文が置かれているのに気づいた。
「……これ、は……?」
「夕刻、長様がいらしまして…… 貴女様に渡すよう頼まれました。『気が滅入った時などに食べるように』との事です」
藤色の綺麗な紙箱を開けると、一口計の小さな饅頭、羊羮、干菓子、練りきり等が、色とりどりの可愛らしい華やかな仕様で詰められていた。驚きで瞳を見開くアマリに、苦笑しながらカグヤが付け足す。
「『最近の若い女子が、何を好むかわからないから密かに調べてくれ』と命じられました。こんな任務は初めてでしたよ」
虚ろな陰を落としていた瑠璃の瞳に、微かな光が灯った。続けて小箱の方をそっ、と慎重に開ける。
中身は、鼈甲製の土台に、紅白の山茶花をつまみ細工で象った櫛形の簪だった。所々に真珠がちりばめられた美しい仕様の品が、薄紅の柔い薄紙に包まれている。
目を疑ったアマリは、急いで文の方を開く。見覚えのある達筆な文字で、たった一文が記されていた。
『花をあまり見せてやれなかった詫びだ。遠慮なく受け取れ』
「詫び、って……! こんな高価なお品……‼」
悲鳴のような感想が洩れた。何故、彼はこんなに優しくしてくれるのだろう。自分は何も出来ないのに。返せないのに。
「後日、ご自分で渡された方が良いのではと申し上げたのですが…… 早い方が良いと仰いまして」
「荊、祟様……」
思わず文を抱きしめたアマリの眼に、再び涙が滲む。弱り切った心に沁みた素っ気ない思いやりは、あまりに不意討ち過ぎて、温か過ぎて、甘過ぎた。
悪夢に襲われていた最中、覚えのあるぬくもりが意識を包み、ふわり、と開花した事を思い出す。あの時の感覚は、ちょうど今、感じている想いに似ていた。
落ち着きを取り戻したアマリは、カグヤが淹れてくれた薬湯を口にし、ふと思い出した。以前、彼女から聞いた話では、この薬湯には鎮静効果がある生薬を使ったという……
「カグヤさん」
「はい」
「この界に育つ作物は少ないと、長様に伺いました。この薬湯に使われている生薬も、きっと貴重で……とても高価なお品なのでしょうね」
突然のアマリの言葉に、カグヤは少し驚いた。我が界の主が、この人族の女性にそんな実情までを吐露していた事に、彼の心の揺れ動きを察する。だが、覚られないよう、いつもと同じく冷静に答えた。
「そうですね。他界から取り寄せた薬ですので、一部……位の高い者でしか使用出来ない品です」
やはり……と思ったアマリは、ずっと抱いていた願望を口にした。
「こんなに良くして頂いているのですから、何かお礼をしたいです」
「長様が許されていらっしゃるのですから、そんなにお気にされなくてよろしいかと……」
少し気力を取り戻し、暗くなっていた瑠璃の瞳に光が戻った彼女を、カグヤは複雑な思いで見ていた。この二人の行く末を案じつつ、これ以上、仲が深まるきっかけを見逃して良いのか……今の彼女には判りかねない。
「そうはいかないわ。あの方がお好きな品など、何かご存知ありませんか?」
「申し訳ございません。そのような個人的な事柄には立ち入らない間柄ですので」「そう……ですか……」
精一杯お礼をしたいと力強く意気込んだが、何も思い浮かばない。今まで考えたことすらなかったのだ。周囲の者が望むのは、花能と『尊巫女のアマリ様』だった。特定の者に対し、個人的に贈答品を贈る行為も固く禁じられていた。
そんな自分の生き様に改めて落ち込んだが、気を取り直す。誰かに生まれて初めて贈る品なのだから。
蓮華灯籠
それから数日間。アマリは荊祟への贈り物の事ばかり思案していた。裁縫は得意なので、何か作ろうかとも考えた。しかし、邪な物ではないとはいえ、相反する異能を持つ者の念がこもった品など、持ち難いかもしれない……と諦めた。
自分と彼の間にある、抗えない隔たりを今更ながら痛感し、少し悲しくなる。
――『悲しい』? 私は、彼と、もっと仲を深めたかったの……?
悩みに悩んだ結果、礼として神楽舞の一つを披露することにした。魂鎮め――鎮魂の舞だ。悲しみに落ちた生物全てを慰め、また召された魂を鎮める為、尊巫女の慈悲を込めて舞うという奉納の儀式が人族の界にはある。
災いを誘発する厄神に、そんな舞を披露するのは痛烈な皮肉か、挑発にも思えた。が、何も持たず無知な自分が、あえて自らの手を汚す酷な務めを背負う彼に出来る事は、これ位しかない……と考えたのだ。
話を聞いたカグヤは、面食らいながらもそんなアマリの頼みを聞いてくれた。髪を巫女結びに結い上げ、荊祟から貰った鼈甲の簪を、花冠の代用として頭部に装着する。
この屋敷に巫女装束や神楽鈴があるはずもなく、以前与えられた曙色の小袖に月白の羽織を纏い、鈴の付いた藤色の扇子を手にするという、独自の仕様になった。
――尊巫女の正装で無い格好…… しかも、妖厄神様から頂いた着物で舞を披露するなんて、母様が知ったら卒倒されるわね…… きっと仕置き部屋に入れられて……
過去の出来事が脳裏に再生され、能面から般若に変貌した母が現れる。怖れる像を慌てて振り切るが、アマリの奥底に深く刻みついた。
「荊祟……いえ、長様。今宵、お呼び出しなど致しまして、誠に失礼仕りまする。大層なものではございませぬが、貴方様ヘの御礼の意を……捧げとうござりまする」
「なんだ仰々しい。礼は要らぬと、あれ程申したのに…… 意外と頑固だな。お前は」
迎えた当日の黄昏時。荊祟の都合をカグヤに伺い、あの石造りの庭園に彼を呼び出したのだ。開口一番、尊巫女らしい振る舞いを見せるアマリに、荊祟は苦笑する。
彼女の格好を一見し、何かを舞踊するつもりなのだろうと気づいたが、あえて触れなかった。自分が贈った花の簪や着物を身に着け、いつになく一生懸命な様子が、やけに可笑しく……微笑ましい思いだった。
「改まってどうした? 厄祓いでもするのか」
「ち、違います‼」
焦って円らな眼を目一杯見開き、慌てて否定するアマリの素振りに、ぶは、と荊祟は吹き出し、くっくっ、と喉を鳴らした。そんな彼を、アマリは軽く睨む。気を許してくれたからだとわかってはいても、悪い冗談を言う厄神に憤慨したのだ。
だが、からかうような琥珀の瞳に、仄かな光が灯っているのに気づいた。かつてなく穏やかな優しい眼差しで自分を見ている荊祟が、今までとまるで別人のように感じる……
自身の感情の機微に疎いアマリでも、ようやく自覚していた。今の彼ヘの想いは、ただの好意や尊敬の念ではない。前よりもずっと切なくて、激しくて、知られたら死にたくなる位に恥ずかしい……
赦されるならずっと傍にいたい。この方の事を知りたい。自分だけを見ていて欲しい…… そんな欲に溺れ切った、弱く、愚かしい激情――
――こんな想いを抱く資格なんて、私には無いのに……
そんな動揺を覚られないよう、努めて冷静に、アマリは説明する。
「魂鎮めの舞でございます。貴方様とこの界の皆様、そして…… あらゆる世の方ヘの……慰安の意を込め、奉納いたします」
後半の言葉と神妙な物言いに、荊祟は彼女の意を察した。以前、独白した自身の責務、過去、思いが過り、何とも言えない動揺が身体中に走る。
自分の力により破壊され、失われてしまった、人族の界の自然の富、尊き生命…… 出来る事なら暴挙や脅威によって、人族に過ちを知らしめたくはないのだ……
鋭利な眼を見開き、驚きつつも許容したかのような彼を確認し、アマリは扇子を持つ腕を振った。チリ……ン……シャラ……チリン……と小さな鈴が鳴り、辺りに儚くも涼やかな音色が響く。
厄界ももうじき春を迎えようとしているが、もう陽が沈みかけている。頼りなげな儚い陽光だけが仄かに射し込む、紫紺の暮明に包まれた庭園は、どこか心許無い。黄昏時などという美しい印象ではなかった。どちらかといえば、逢魔ヶ刻――向かい側の林から、邪鬼や魔物が今にも飛び出してきそうな妖しさがある。
そんな空間の池の畔に、アマリの月白の羽織が、ひらり……ひらり……と広がり、はためく。しなやかに、ゆるやかに、手にした藤色の扇子が宙を舞う度、薄紫の花弁が踊り降るようだった。
荘厳華麗――という言葉があるが、今の場は荘厳『優麗』という表現の方がふさわしいな……と、荊祟は唐突に感じた。自身の立場を忘れずにいられない程、目の前の舞――いや、彼女自身が発している気に……魅了されている。
この想いは何という気持ちで、どんな名を持つのか、どう扱えば良いのか、厄神の自分にはわからない。ずっと見ぬ振りをしていたのだ。 やるせない苛立ちまで伴い、億劫に感じながらも、それすら何故か大切にして隠しておきたくなる――そんな不可思議な感情は……
刹那、彼女の身体から淡い光の玉が、ふわり、ふわり、と浮かんでは宙に飛ぶ。池の水面、足元に落ちる刹那、それは姿形を変えた。京紫と白の混じった丸い花――蓮華草だった。庭園のあちらこちらに落下しては、ぽつり……ぽつり……と、薄紫色に灯ってゆく。
いつの間にか宵に落ちていた、蒼黒に染まる空間に灯り、咲いてゆくそれは、まるで花の灯籠のよう――
「……⁉」
動きを止めたアマリは、自身と辺りを交互に見渡す。驚きで茫然と立ち尽くした。ずっと花能として召喚した事しかなかった為、今起きている現状がわからない。自分の意思に反し、身体から出てくる美しい花達が、不気味にさえ感じた。
助けを求めるように、荊祟の方を無意識に向いたが、彼も驚いたように辺りを見回している。
……何も決められず、選べなかったはずの自分が、彼と出会ってから変わり出し、今までの自分でなくなってきているのには気づいていた。が、こんな異例な状態は初めてで、どうしたら良いのかわからない――
――……止まらない……どうしたらいいの……⁉
途方に暮れたアマリは背中を丸め、頭を抱えた。
「おい、まさか、お前また無茶を……⁉」
花能を使ったと誤解した荊祟は、焦って近づく。
「……‼ 大丈夫です‼」
必死の形相で、アマリは否定し、制止した。
「――生気は、使って……いません」
「どういう、事だ……?」
茫然とした荊祟はそろりと、足元の薄紫の灯に、反射的に腕を伸ばす。
「……‼ 駄目‼ 触らないで下さい‼」
彼女の勢いに驚き、また拒否された事に少しショックを受けた荊祟は、動きを止めた。そんな彼を泣き出しそうな顔で見つめる。アマリは錯乱状態に陥っていた。
この花に触れたら伝わり、ばれてしまうかもしれないと危惧したのだ。今、自分が何を思っているかを――
――知られたくないのに。知られてはいけないのに。軽蔑されてしまう。困らせてしまうだけ――‼
「どうした」
「ごめん、なさい。申し訳ありません……! ごめんなさい! ごめんなさい……!」
「おい……⁉」
涙混じりの掠れ声で、アマリは詫び続ける。自分の顔がどんどん熱くなり、火照ってゆくのがわかった。きっととんでもなく見苦しい振る舞いをしているだろう…… 今すぐにでも消えてしまいたかった。
「何があった⁉」
屈んだまま見上げたアマリの白い頬が紅色に染まり上がっている。そんな顔を隠そうと、扇子で必死に覆っている。荊祟が贈った薄桃の着物が、砂利がぶつかり合う耳障りな音と共に、じりじり、と自分から逃げるように遠ざかっていく。
そんな事態が、彼に追い討ちをかけた。鼓動が暴れ、速まり、喉奥が詰まる――
――何故、逃げる? 去っていくのか? もう会わないつもりか……⁉
荊祟の胸の奥底に、苛立ちを伴う焦燥が爆ぜた。激しい衝動が稲妻のように貫き、背を突き立て、前のめりに全身が動かされる。
「――落ち着け」
細い手首を掴み、身体全体で被さるように彼女の動きを止めた。胸元に彼女の顔を押し付け、抱き締めるように抑え込む。
アマリの意識は、彼方に飛んだ。現状を把握できないまま、自身に起きている事が、現実なのか夢なのか……判別できなかった。曖昧に揺れ動く思考の中、重く絞り出したような、掠れた低音が――響く。
「大丈夫だ」
「……⁉」
一息ついた後、観念したように荊祟は告げる。自身の奥深くに隠していたモノを見せ、差し出した。
「――多分……俺も、今……似たような事を、思っている」
それを何と呼ぶのか、人族は名付けているのか、神族で禍神である荊祟にはわからない。初めは『罪無き哀れな生物』を保護し、生かしておくだけのつもりだった。いつからだろうか。そんな愛玩対象でしかなかったこの人族の女を次第に乞い、求め止まなくなってしまったのは……
一方、アマリにも、一つだけ確信している想いはあった。生まれたばかりで拙く、ひりつく痛みを伴う温かな想いが、互いの身体にしがみつく芯に芽吹き、息づき始めている――
“あなたは 私の苦痛を 和らげる”
↓次話《制作中》
#創作小説