対話型鑑賞と読解型鑑賞について
大雪|熊蟄穴
令和5年12月12日
2023年1月7日。豊田市美術館のゲルハルト・リヒター展を見に行った際の邂逅は、S.F.の前候にて触れられている。
9年前の2014年、ゲルハルト・リヒターは「ビルケナウ」を描いた。パッと見たところでは、いかにもリヒターらしい、アイコニックな抽象画の一つにすぎない。その下絵には、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で秘密裏に撮影された写真が用いられている。しかし、この完成した抽象画を見ただけで、誰一人としてビルケナウというモチーフに気づくことはないだろう。
VTS(Visual Thinking Strategies)やACOP(Art COmmunication Project)など、作品固有の知識を不要とする対話型鑑賞が注目されている。以前、対話型鑑賞についての記事を書いたが、敷居の高さを感じがちなアートの世界に対して、対話型鑑賞は明確に一つの入門として機能している。これはとても素晴らしいことだが、その素晴らしさゆえに、鑑賞行為全体があまりに知識不要説に偏りすぎているきらいがある。解説を読む前にまずは作品を見よ、頭で見るのではなく五感で感じろ、「見テ知リソ 知リテナ見ソ」と柳は言うけれど...。
対話型鑑賞に対して、事前知識や情報を踏まえて作品を鑑賞することを、仮に「読解型鑑賞」と名付けてみる。そうすると、対話型鑑賞は「自己との対話」で、読解型鑑賞は「作者との対話」であると言えるだろう。
作品と対峙した際に内面に浮かんでくる様々な感情...それは作品を触媒として自己の内部から生まれてくるエネルギーであり、それと向き合って言語化する営みが対話型鑑賞である。一方の読解型鑑賞は、作者の人生や制作の背景を知った上で、作者がなぜその作品を作らなければならなかったのか、何が作者の筆をそうさせたのかを考える。これらは全く別の鑑賞体験であり、それぞれの楽しみがある。
リヒターは「ビルケナウ」を描いた当初はタイトルを与えず、ただ「アブストラクト・ペインティング」として展示した。その後、”タイトルがなければビルケナウのことが頭に浮かぶ人はいないかもしれない” と、タイトルを明記したという。デュシャンの「泉」がなぜ現代芸術の始まりとされているのか、それは単に作品と丹念に対話したとしても理解できない。外部の知識や情報を適切に踏まえることで、作品の新たな(しばしば、本来の)意味に焦点を当てることができる。人それぞれの読解も素晴らしいが、正しい読解を試みることも良いだろう...と、高校国語を赤点ギリギリで凌いできた自分が言える立場ではないのだが。
-T.N.
熊蟄穴
クマアナニコモル
大雪・次候
岡田 匡史(2010)「対話型鑑賞,鑑賞能力(美的感受性)の発達,鑑賞批評メソッドの研究 : 読解的鑑賞の準備的論察」
本候を書き終えたあと、もしかしたら読解型鑑賞に近しい概念について先行研究があるのではと思って調べたところ、すでに2010年に信州大の岡田先生が「対話型鑑賞の妥当性の及びうる範囲・限界を検討し,その射程を越えた部分をカバーしうる指導形態」として、読解的鑑賞(reading-oriented art appreciation)を提唱されていた。先行研究に図らずも近づけたというのは、在野の人間からすると非常に嬉しい。ただ、あくまでエッセイとして記述した内容に、学術用語を利用するのはさすがに憚られたため、対話型鑑賞に対応する形で「読解型鑑賞」と表記した。
岡田先生、その後は読解的鑑賞と対話型鑑賞を織り交ぜた 10段階の学習モデル(岡田 2020)や、7段階学習モデル(岡田 2021)を提唱されている。ArtGuessrの営みもぜひ論文に入れてほしい。中学の美術教育には全く不向きかもしれないけれど。
参考文献
西野 路代, イメージと倫理の位相 : ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ》とアウシュヴィッツ, 美術手帖, 2022年7月, 74 巻, 1094 号, p. 22-55
岡田 匡史, 対話型鑑賞,鑑賞能力(美的感受性)の発達,鑑賞批評メソッドの研究 : 読解的鑑賞の準備的論察, 美術教育学:美術科教育学会誌, 2010, 31 巻, p. 139-150
岡田 匡史, ヒューホ・ファン・デル・フース「ポルティナーリ祭壇画(1475-80年)」鑑賞のための3種類のアプローチ : 自由解釈,テキスト準拠型鑑賞,図像学的読解, 美術教育学:美術科教育学会誌, 2015, 36 巻, p. 95-118
岡田 匡史, シモーネ・マルティーニ「受胎告知(1333年)」の鑑賞学習I, 美術教育学:美術科教育学会誌, 2020, 41 巻, p. 45-56
岡田 匡史, ヴェロネーゼ「カナの婚宴(1562–63年)」の読解的鑑賞, 美術教育学研究, 2021, 53 巻, 1 号, p. 65-72
カバー写真:2019年11月3日 クレマチスの丘にて
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対話型鑑賞と読解型鑑賞について
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