見出し画像

【15日目】サニタリーボックスには絶望とわたしの一部が死んでいる

生理を恥ずかしいと思うきっかけってなんだったのだろう?

最近、SNSでは
女性は見ず知らずの人、仲の悪い人が突然の生理で困っている時に
すぐにナプキンをあげる、
というあるあるが話題になっていた。

わたしもそれはあるあるであり、当たり前だと思う。
高校生の時、廊下側の入り口すぐの席でぼーっと次の授業の準備をしていた。
すると焦った声で「誰かナプキン持ってない?」と隣のクラスの子がやってきた。
その言葉はドアの近くでたむろっていたその子の友達に向かって言われたものだった。
正直、仲良くない、なんなら嫌い側の人間だった。
だけど、その子は「ごめんないわ」って数人に言われて困っていた。

「あ、あるよ」

そういって、わたしはナプキンを取り出した。
「え、ほんま?ありがとう」
そういって去っていく。

そんなシーンは当たり前だった。
女子クラスだったこともあり、ナプキンの貸し借りはよくあった。

保健室に行けばナプキンをもらえはした。
だけど、ちょっとキツイ感じの人だったし、
持っていないことを怒られそうな雰囲気もあり、
返しに行かなければならないというルールがあったため、
多くの人は保健室に借りには行かなかったようだ。

別に大きく騒ぐわけではない。
当たり前の出来事。

大体自分が所属してるグループの子に貰う。
そして、ナプキンをつけに行ったのを見ながら、
「大変だねぇ」と温かく、特別視のないふんわりとした会話を残ったメンツで行う。

そして帰ってきたその子が
「急に来てやばかった〜、最悪だよね」
なんて話す。

「うわー、最悪やな。体育あるしな」

なんて、ゆるい。

わたしも仲良しグループは6人ぐらいで形成していた。
そのなかの2人は酷く生理が重かった。
そして、2人は全く痛くない、というような子だった。
わたしは残りの2人で、痛い時もあるし痛くない日もある、そんな感じだった。

生理の重い子たちは、生理の日は、
朝、登校した瞬間から顔色が悪く、
不機嫌そうだった。
挨拶もいつもは「おはよう」って言いながら抱き合ったりするようなテンションなのに、生理の日はこちらの「おはよう」にも「うん」ぐらいで終わる。
そのまま、自分の席に座って机に突っ伏す。

「あー、今日は生理かな、そっとしとこうね」
それをみんなで確認しながら、無視するわけでもなく、構わないことにする。
変に声もかけすぎない。
昼ごはんの時間になると、大体は少しだけ復活しているので一緒にご飯を食べる。
「今日、まじやばい」なんて少し話す。
それでもいつもより口数が少ないし、そのあとは机で寝てたりする。

それが普通だった。
それで誰も怒ることなんてない。
「あいつムカつく」なんて会話も起こらない。
みんな、生理はそういうものだと思っていたから。

生理の軽い2人は、「そんなにしんどいものなん?」と一度聞いてきたことがあった。
生理の重い組が死にそうな旨を伝えて、「そりゃ大変やわ」と理解をしてくれる。

こんなに隠さないで良かったのは、
女子クラスだったからだろう。

性教育の授業もあっけらかんとした感じであった。

女性の先生だった時は、自分の生理痛の体験や出産の話をしてくれた気がする。
「まじで気をつけな」みたいな忠告もしていた。

男性の先生は、むしろ先生が緊張していた。

担任の先生が一度、
「今日、生理が重すぎるのでちょっと立ってられません。ごめんだけど座って授業をするね」と言ったこともある。
生徒たちは口々に「えー!だいじょうぶ?!」「座ってて!」「寝てていいぐらいだよ」と言う。

そういう高校時代を過ごせたのは本当に良かったんじゃないか。
少しでも男子がいるクラスは「そんなふうじゃないよ」と言っていた。
もっとピリピリしていて、マウントが多いとの話を聞いた。

思えば、生理を隠していたのはいつまでだっただろう。
今はTwitterなどでも「生理くそだ」と呟いたりする。

わたしは生理が来るのが早かった。
小学4年生か5年生の初めだっただろう。
多分、学年でも二、三番目だったのだと思う。

なんで、そんなことがわかるのだろう?

「生理、きた?」
そう言う会話を隠れてコソコソと話していた気がする。
「〇〇ちゃんはもう来たらしいよ」
「え、わたしまだ来てない」
その会話はちょっとずつトゲのようなものだった。
羨ましいような、怖いような、穢らわしいような。

小学4年生、5年生の頃に、生理の教育があったはずだ。

女子だけが、教室に残され、その説明を受ける。
男子は体育館で遊んでていいよ、と言うような感じだった。
その授業はなんとなく3回ぐらいあった気がする。

その授業の後、男子たちは騒いで「なんの授業だったの」と聞いて回る。
それに対して先生は「黙りなさい」と言うような答えさせない、聞かさないための叱り方をしていた。

女子も「言っちゃいけないこと」を伝えられたとそこで刷り込まれてしまう。

大きな線を引かれてしまう。

それを恐れた女子が仲のいい男子にその内容を隠れて伝えてしまう。

そして、それが歪んで伝えられて、
男子の中でバカにする人が出てくる。

プールの時に見学をしていると「生理???〇〇生理なんだ!!」と騒ぎ始める。
大体は違う。
「違うし!!生理じゃないもん!」と反論することで、

女子たちの中でも広まっていき、
生理が来るのを嫌悪する流れが明確にできてしまう。

穢れだと思う。

わたしも来た当初は、
「兄貴には言わないで!!」と言っていた。
恥ずかしい気がした。
自分だけが、変わってしまうことが怖かった。

変わったことをバカにされるのではないか、と思った。

わたしの母は、生理のことを隠したりはしなかった。
ちゃんと教えていたし、兄もちゃんとそう言うことを理解できる頭の持ち主だった。あの人は「ガキ」であった時代がないぐらいの大人っぽさがあったから。

だから、兄に隠したいなんて思う必要もきっかけもないはずだ。

なのに、わたしは「バカにされる」と思っていた。
自分だけが「大人」の体になってしまうことが気持ち悪かった。
兄よりも歳が下なのに、子供なのにわたしだけは勝手に変えられてしまった。

嫌悪感が体を覆う。

もう戻れない。
踏み外してしまった感覚だ。
わたしだけが、もうクラスの誰とも違う何かになってしまった。

バカにされる対象に。
嘲笑の的に。

キモかった。

母によって、赤飯は炊かれた。
普通に赤飯は美味しかった。
だけど、「なんで?」が家族の空間に漂う。
別に生理だとは言われなかった気がする。

ただただ、気持ち悪くて、許せなくて、嫌だった。

男になりたかった。
男でありたかった。
だって、それのほうが楽だから。
今までと同じままで良かったから。
変化などなくてよかった。

昨日から「生理」について書こうと思っていたけれど、
今日朝起きるとNHKがついて「あさイチ」がやっていた。

特集は『子供の生理』。
「娘が生理を伝えてくれない」
「娘がナプキンをつけてくれない」

どの家庭でも同じ出来事が起きている。

「なんで言わないの?」「なんでつけないの?」
そう聞いたけど、怒って話してくれない。

なんてことを母親は言っている。
だけど、そんなこと当たり前じゃないか。

自分が何かをしたわけでもないのに、
勝手に変化が起こって、怒られるなんて、
許せないし、敵だと思ってしまう。

隠さないといけないと思った理由として、
「母親が一切生理を感じさせない人だった」と言うのがあった。
確かに、そう言う小さい態度からも秘密である感覚が植え付けられるのだろう。

わたしは、ナプキンはつけれた。

だけど、怒りが消えない出来事があった。

プールの授業だ。
プールの授業を生理で欠席すると減点であり、補習が行われる。
それは、水着を忘れた人、何かを忘れた人と同じ扱いで、罰であった。

それでも、生理中はプールになんか参加できない。

なのに、母は「タンポンをつけて参加しなさい」と言った。

タンポンってなんだよ、
タンポンのことなんか知らないよ、
お腹痛くて血が出ているのにプールに入らないといけないなんておかしいだろ、
そう思った。

だけど、タンポンをつけることを試せと強制された。

家にあった母のタンポンをつけようとする。
使い方もわからない、説明書を見てもわからない。
膣?入れる?は?
入れてみると、痛くて仕方がない。
手は血まみれになり、どこまで入れるべきなのかもわからない。
激痛が走って、膣内の水分が全てタンポンによって奪われて、
引き出すのも困難だった。

拷問だ。

そう思った。

女でいるだけで、罪なんだと思った。
女でいること自体が、罪で、生きてることの罰を与えられているのだと思った。
泣きながら、抜いて、捨てた。
捨て方もわからなかった。

あの日から一度もわたしはタンポンをつけたことがない。
怖いし、嫌いだ。

その後、わたしは性教育に興味があり、いろんなことを調べてSNS等で教わっていくうちに、正しい位置どりなども理解してきた。
だけど、あの苦痛は忘れられない。

何も書かれてなんかなかった。
説明なんてなかった。

そもそも、わたしは出血が少ない方で、タンポンをつけるほどのタイプではないのだと理解した。

何もわからないまま、
生理と対峙しなければいけないことは、
自己嫌悪への最短ルートだ。

自分を大事にする方法を知らないまま、
嫌悪感でより、雑に扱ってしまう。

今は、ネットで性教育系のYouTuberの増えてきていて、
知識を得る方法はたくさんある。

だけど、その中にも良し悪しがあって、恐ろしい思想の持ち主がいることも
最近よくわかる。

生理なんて、必要ないじゃないか。
本当にそう思う。
でも、来ないことのせいで健康を害することもある。

難しい。

今では、当たり前のように生理を飼い慣らしている。
立てない日もあるし、PMSも結構きつい。
生きてることが嫌になるけど、
毎月生理が来たら、「やっとかよ」と思う。
「もうかよ」とも思う。

そういえば、嫌悪感で言うと、中学生の頃を思い出す。
給食の時間にお盆の上に薄ーい紙のフキン「紙ナフキン」を置くルールがあった。
先生の分も生徒が準備する。
男性教員がそれのことを「ナプキン」と呼んでいた。
それを女子は気持ち悪いと思っていた。
皆、口を揃えて絶対に「紙ナフキン」と呼び続けていたのに、
先生だけは「ナプキン」と呼び続ける。

「紙ナフキン」って言ってください。
そう言ったこともあった気がする。だけど、彼は変えなかった。

それがより、嫌悪感を高めていった。

思春期も最も繊細の時にそこについて配慮をしない教員はとても嫌われていた。

それぐらい、難しい問題なんだ。
今後の時代、どうなっていくかはわからない。
だけど、少しでも自分の体を嫌悪しなくて済むようになればいい。

いいなと思ったら応援しよう!