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『フル・モンティ』の面白さは25年経った今なお不変

かつて鉄鋼業で栄えた街、シェフィールド。その産業もすっかり下火となり、巷には失業者があふれている。主人公ガズ(ロバート・カーライル)も例外にもれず職探しの毎日を送り、さらに彼は養育費を支払えないと一人息子の共同親権を失ってしまう危機にも直面している。そんなある日、街の女性たちに大人気のショーにヒントを得たガズは、自分たちの手で男性ストリップショーを開催することを思いつくのだが・・・。

この作品、久々に観たが、いやはや懐かしい。公開年の97年といえば僕が大学2年生の頃で、同郷の友人と一緒に新宿のミニシアターで鑑賞したのを覚えている。狭い場内にぎっしりと詰まった観客の一人になって、笑いと涙と熱気に包まれながら、この映画を観たのがまるで昨日のことのようだ。

タイトルの”フルモンティ”とは素っ裸状態のこと。パンツ一枚になるとかではなく、ガズたち6人組は本当に正真正銘のフルモンティになってこの大舞台の一発勝負を決めようとしている。

と同時に、この”素っ裸”状態はすなわち、職も、家庭も、金も、尊厳も、全て根こそぎ引き剥がされてしまった彼らの状況にもあてはまる。崖っぷちの彼らにはもう我が身を覆うものが何一つない。

ただ、何もないからこそ、まっさらな状態で自身を見つめることが可能となる。また、なにかとぽっちゃりお腹を気にするデイヴがいたり、他のメンバーどうしの同性愛が描かれたりと、これはもう全員が全員「これが偽りなき私である!」と胸を張って、生まれたままの姿になって高らかに宣言する映画とさえ言えるのかもしれない。

本編中では、「衣服を着る」ことに関する描写も多い。かつて管理職だったジェラルド(トム・ウィルキンソン)は、解雇されたことをなかなか妻に切り出せなくて、いつもスーツ姿で職探ししている。また、仲間の母親が亡くなった際、喪服を持たないガズとデイヴは、スーパーの売り物の黒ジャケットを羽織って、葬儀に参列する。今改めて本作を観ると、ここらへんも全て対比構造だったことがわかる。こうやって何かを着込むシーンを意識的に盛り込むことで、クライマックスで全てを解き放つ描写により強烈なインパクトが付与されるのである。

脚本を手掛けたのは、当時まだ駆け出しだったサイモン・ボーフォイ。初長編でオスカー候補入りを果たし、今もなおイギリスで最高の書き手の一人として知られている。


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