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『長崎の郵便配達』 77年前の記憶を辿ると同時に、来崎したひとりのジャーナリストと元郵便配達員との交友を描いたドキュメンタリー

私の故郷の長崎では8月に入ると、どこか街全体が静寂に包まれていくのを感じる。蝉の鳴き声が大きいほど逆にシンと胸の内側が静まり返り、宗教を問わず祈りのような気持ちが広がっていくといえばいいだろうか。

思えば、昔は戦争のこと、原爆のことを話してくれる親戚のおじさん、おばさん、それから知人の方々がたくさんおられた。しかしそのような体験者の多くがこの世を去られ、今では「戦争の爪痕を知る」ことと共に、「語り継ぐこと」もまた大きな主題となっているのを感じる。

このドキュメンタリー映画『長崎の郵便配達』もまた、一風変わった形で当事者ではなく、「想いを受け継ぐ者たち」の姿を映し出した作品である。

ただし本作の場合、メインとなる人物がかなり特殊だ。私はNetflixの「ザ・クラウン」という英国王室のドラマシリーズが大好きなのだが、まさかこの作品にも登場するピーター・タウンゼンド(日本語表記でタウンゼントと書かれる場合もあるが、ここでは映画に合わせます)大佐という人物が戦後の長崎を訪れていたなんて、私自身、思ってもみなかったことだった。

本編での説明によると、マーガレット王女(エリザベス女王の妹)との悲恋で知られるタウンゼンド氏は、破局を迎えたのち、世間の注目から逃れるかのように世界中を旅して周り、いつしか作家、ジャーナリストとなってこの長崎の地にもやってきたのだそうだ。当時は世界的に核爆弾への恐怖が高まっていた頃でもあった。彼は長崎に落とされた原子爆弾の被害の実相を調べるうちに、郵便配達中に被曝したひとりの男性と知り合うこととなる。それが谷口稜曄さんだった。

本作ではタウンゼンド氏の娘さんが長崎を訪れ、父が遺したボイスメモを頼りに、かつて父が目にしたであろう風景を追体験していく。それから2017年に亡くなった谷口さんとの交友についても、ご家族や関係者の方々から話を伺っていく。

その中で二人を繋ぐ通訳を担当したという男性が、タウンゼンド氏に関して「自然にも関心を持っておられたようだ」という証言をされ、娘さんがハッとする場面がある。確かに氏が遺したボイスメモには鳥の鳴き声をはじめとする豊かな自然音が記録されていた。なぜ彼はこういう音を録ったのだろう。

もちろん答えは提示されないが、娘さんにも、それから我々にも「想像すること」はできる。こういった描写を頼りに、亡くなった方々のひととなりや確たる想いが、立体的に浮かび上がるのを感じた。その瞬間、本作にはとても温もりと自愛に満ちた空気が吹き込んでくるのであった。

谷口さんの職業が「郵便配達」だったこと。配達中に被爆したこと。それによって壮絶な経験をしながらも、生涯にわたって戦争の悲惨さ、核爆弾の恐ろしさを身をもって、世界中の多くの人々へ伝え、届け続けたこと。

次の世代を生きる私たちもまた、先代の体験や想いを語り継ぐ「郵便配達」としての役割を担っているということに、自ずと気づきと実感が広がっていく一作である。

*トップ画像は作品画像ではなく筆者が撮影した個人写真です。


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