#買ってよかったもの はNetflixやろ!
#買ってよかったもの に本当に「モノ」を挙げるのは時代錯誤かなと思い、今年を代表するサブスクリプションサービスということでNetflixを挙げた。実は去年から使っていたが、去年はさほど時間を費やしていなかったため今年の項目として挙げる。
選んで見る時代へ
Netflixが変えたのは「時間の使い方」というより「テレビの見方」だった。Netflixをテレビ的にとらえること自体古い発想だとは思うが、あえてテレビの枠組みで語ってみよう。ここ10年来はテレビというものをまともに見ていなかった。放送時間が限られており録画しないと自由に見れない、同じ番組の続きを続けて見られない、見たい番組がない、チャンネルが少ないなどなどの理由からテレビ離れが進んでいた。
それ以前、中学生ぐらいまでは当たり前にテレビを消費していたが、その時代というのはインターネット以前であり、テレビ的な消費が当たり前の時代だった。それでもリアルタイムでテレビを見ることは少なかったし、録画したものを見るか、レンタルDVDで見ることが主流だった。広告付きのビデオオンデマンドとしてYoutubeやニコニコ動画はあったが、いずれも素人の動画を見るのが主体であり、テレビ的なものの延長にはなかった。
Netflix時代の特徴は「見たいときにいつでも見たいものが見れる」というものだが、その特徴を支えるのが膨大な番組量だ。映画もある、ドラマもある、アニメもある、オリジナルコンテンツもある、輸入モノもある。ドキュメンタリーもある。ネット上でNetflixの話題を見かけても、それぞれ消費しているコンテンツが全くかぶらない。みんなが自分の見たいものを楽しんでいる。膨大なコンテンツの中で、本当に自分が求める、自分だけの消費の仕方に分かれていっていることを実感する。
コンテンツ消費とコミュニケーションの細分化
このあたりが従来のテレビ的なものと一番違う部分で、従来のテレビはコンテンツを他者と共有することが前提にあった。それぞれが自分の見たいものを楽しむのではなく、コミュニケーションの材料としてコンテンツを消費していた。だからクソみたいなコンテンツでも流行っていれば目を通す、みたいな時間があった。しかしNetflix時代においては、そもそもコンテンツが膨大過ぎて、流行といった一定の流れ自体が生まれにくくなっている。まさに多様化時代に対応したようなサービスだ。
現代は、ネットワーク化が進んだことで、同じ趣味嗜好の人同士が繋がりやすくなった。自分の好きなコンテンツを消費する人だけが集まり、話題を共有することが容易になっている。つまり、自分の趣味嗜好に合わないコンテンツをフォローし続ける必要がなくなった。
現代においてもコンテンツはコミュニケーションの材料として機能している。しかしそれは、趣味嗜好が同じ者同士の間のことであり、コミュニケーションのためにコンテンツが機能するという場面は薄れてしまった。現代はむしろコンテンツを主体として、コミュニケーションが成り立っている。周りが見ているからといって、見たくもないコンテンツを消費するような時代は終わったのだ。
「何を見ていいかわからない」問題
従来のテレビ局が垂流す番組をただひたすら眺めるだけに慣れてしまった層は、番組を選べない。Netflix的なものを利用しだすと即座に、「何を見ていいかわからない」問題に直面する。何を見ていいかわからないなら、何も見なければいい。これはコンテンツが主体となった現代人の発想だ。しかしコミュニケーションが主体の意識が残っていると、コミュニケーションのために何かを見なければいけないという強迫観念が働く。そして「見るべきコンテンツ」を見つけられないことに焦りを感じ、混乱する。
こういったことは何もNetflixに限った話ではなく、あらゆる分野において、コミュニケーションのためだけに世論とか流行とかをフォローしてきた人に起こりがちの混乱だと思う。現在のサービスは、コミュニケーションを主体にできていない。「周りが良いと思うモノ」が正義であった時代は終わった。今はコンテンツが主体だ。あなたが良いと思うものを、あなた自身の基準で選び、消費できる時代なのだ。さらに、同じものを良いと思える者同士が簡単に繋がれる時代でもある。
「何を見ていいかわからない」なら、一旦コミュニケーションのことは忘れ、自分自身の趣味嗜好に耳を傾け、手当たり次第消費してみればいいのではないか。周りの友人と合わないかどうか、世間に評価されているかどうかなんて気にしなくてい。ネットワークを見渡せば、きっと同じコンテンツを好きな者同士も簡単に見つけることができるのだから。
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