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食べたり、作ったり、観察したり

 今日は陽が差して、割と温かかった。温かくとも雪が降っていることには変わりなかった。朝食に昨日の残りのポトフを頬張りながら、今日のゴミ出しが何かを夫と話した。今日は資源ゴミの紙ゴミの日だった。まとめてあった段ボール(引っ越して来た時の)を抱えながら、いつか再利用出来る紙を溶かして紙にして、かわいい便箋や紙袋なんかに使いたいなあなんて考えながら、ゴミ捨て場に到着し、ゴミを入れた。

 コンポストをやり始めてから、燃えるゴミの量が凄く減った。何よりコンポストが楽しい。混ぜる度に野菜くずたちは消えていくのが面白いし、虫が湧いたとしても、山が近いので、コンポストに湧こうが自然に飛んでる虫の数の方が多いので、余り気にならないから問題なかったし、今は冬で雪が積もって、虫もついに見かけなくなった。

 帰りながら見た遠くの山の雪模様が美しくて、夫とはしゃいだ。白い色は大好きだ。よく、美大にいた頃もこの懐かしい白を求めて、白い絵の具の表現方法を模索したっけな。など、考えたり。

 家について、温かくて甘いカフェオレを夫にねだった。夫は何故か私にねだられると喜ぶ。多分変態なんだと思う。おかしな人で私は好きだけど。

 夫が入れてくれるカフェオレは、スタバの甘ったるい飲み物みたいに甘いけど、私は朝にこれが飲みたくなる。元気が出る気がする。それを啜りながら、何日か前から取り組んでいる多肉を飾る棚の事に思いを馳せていた。

 ボンドで接着してから釘を打つと外れずらくてとても良かった。だから、前日からボンドが乾くまで放置していた。日々のことは1日では終わらない事が多い。何日もかけて少しずつしか、進まない。

 物事は全てそういうように出来ていた筈なのに、いつの間にか私はその事を忘れて若い頃は時間に追われ続けていた。1日に何枚も作品を完成させたりしていた。そして、体を壊して、心は壊れてたから、もう動けなくなって、出来ないことが増えた。それは、仕方ないのだ。やれないことを可能にしていたのは、きっと自分の命を削って可能にしていたから出来ていたことなのだと今になって思う。

 話が逸れたが、ボンドはくっついていた。私はやっと次に進めるぞとワクワクしながらハンマーと釘で、板をトンテンカンテンしていた。この板は、テキトウにこのお家にあった廃材でホコリを被っていたものを綺麗にして乾かした板なので、妙ちくりんではあるけど、そこが気に入ってて、愛着がある。

 私がDIYに勤しんでいる間にいつの間にかお昼ご飯の時間が迫っていたらしく、夫がチャーハンでいい?と聞いている。チャーハン好きだけど、なんか違う気分だったので、じゃがいものニョッキは!?と提案するが、夫はイマイチピンと来なかったようだ。ならばと、肉まんは!?と言ったら、蒸し器無いけどと言われた。何とかなるなる。と竹ざるとデカい鍋とデカい布を見せた。夫はちょっと面倒そうにしてたけど、半分乗り気そうだった。


クソでかい肉まん


 そして、なんと、クソでかい肉まんが4つ完成した。しかも美味かった。手作りってこんなにうまいんだな。最高!

 蒸し器が更に欲しくなった。色々蒸したいな。

 最近noteに書いてる時間が中々無いくらい家の事でやる事がいっぱいあって、大変である。年末はゆっくりしたいな。


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