「面白い」より「面白そう」が大事な理由。
こんにちは。紀藤です。ここしばらく、「面白さと正しさの間で揺れている」日々を過ごしております。それは、約半年前から通っている出版ゼミの影響です。
その気持ちについて、そういえば少し前にnoteの記事にも書いていました。
その続きではありますが、ちょっとだけ思考を前に進めて、自分なりの答えらしきものに(一旦)着地しようとしています。今日はそのことについて、ゆるりと書いてみたいと思います。
日記的なお話でございますが、よろしければお付き合いくださいませ。
正しさか、面白さか。
一定の方法論に従って、研究を行い、その結果を示していくのが論文です。
それは絶対的な正解が示されたわけではないとしても、ある程度の「正しさ」があります。
「正しさ」とは、特定の条件と文脈下で、研究者が合意したプロセスを経て見つけた、中規模の理論のようなもの。「私の体験談」よりは、信頼性を持ち、再現性があると考えられます。
しかし、そうした論文は、必ずしも「そうだったんだ・・・!」という真新しさ(新規性や意外性)があるとは限りません。
一方、一般の書籍で求められるものは「面白さ」です。
「面白さ」とは、私の思うに「たった一つのXXXXのルール」とか「XXXXが9割」といったインパクトがあるものです。
情報過多の世の中で、人々の耳目を集めるには、本能に訴えかけるようなアピールが必要になるものです。
それを「マーケティングだ」ということもできるし、「誇大広告だ」ということもできます。
中身がないものを誇張して、スゴいモノのようにアピールして、
実際は、全く使えないものだった。。。というパターンも。
世の中にはゴマンとあるため、個人的には「面白さ」に振り切ろうとしているものは、
どうしても浅はかさを感じてしまいます。
ゆえに、抵抗感を感じることもなきにしもあらず。
現在出せるかどうかもわからない本の企画書を書く中でも、この両者をどうバランスさせるかを考えている今日この頃なのでした。
あの人もこの人も「抵抗感」があった
興味深かったのが、『◯◯が9割』という著書のタイトルの先駆けとなった『伝え方が9割』(国内100万部)の著書の佐々木圭一氏が、インタビュー記事でこのように言っていたことです。以下、引用いたします。
コピーライターという人々の見聞を集めるプロだとしても、「ピンクの表紙」✕「恋愛の事例」は、同業者にダサいと思われるんじゃないかという不安があった・・・とのことは、面白さと正しさの間の揺れを感じていたのではないか、とも思えます。
また、私の大学院の先輩も、出版の企画を書くときに「こんなことを書いて、大学院の先生や、仲間にどう思われるだろうか・・・」という葛藤があったと、言っていました。やっぱり同業にどう思われるか、が不安なわけです。
他にも、私の友人で出版を検討していた人も「最後まで、”面白く伝える”ことを強調することへの抵抗感は拭えなかった」と言っていました。
ちょっと批判的な目で見ればそうなのですが、たとえば「◯◯が9割」とか「たった一つのXXX」という著書があったとして、そんなはずないやん、、、と思う気持ちはどこかにあるものです。
何に対して9割かもかもよくわかりませんし、そんなにコミュニケーションの成果で9割も要素を占めている因子があるとは思えません。
最近は「◯◯が10割(?!)という本すら出ていますが、いくらなんでも言いすぎだろう、、、とすら思えたりできます。
・・・しかし、一般の人に届けようとするときは、何かの中で目立つ・耳目を集める工夫をしなければ、そもそも戦の土俵にも乗れないというのも、一つの事実でもあるようにも思うわけです。
「面白そう」が「面白い」よりも大事な理由
さて、そんなことを思う中で、先日経営者の友人(イベントなど企画している)が、なるほどと思う話をしてくれました。それが、
「『面白い』よりも『面白そう』が大事なんだよ」
とのお話でした。
ちなみに、彼は「謎解きイベント」の会社を立ち上げた経験があり、現在はその分野では業界の上位に位置する会社にまで成長をしています。
その彼が曰く(特にイベントにおいては)、
「同じ内容でも、30名集まったイベントと、200名集まったイベントでは、盛り上がりや満足度が違う。
なぜなら集まることによる“熱量”が違ってくるから。そもそも“人がこれだけ集まっている”という事自体が人を高揚させるもの」
というような話をしてくれました。
確かに、そうなのかもしれません。
誰かを応援するでも、何かに没頭するでも、そこに関わる人が多くなるほど、全体が持っている熱量は高くなります。
もちろん、イベントや、漫画や小説やビジネス書などの著作物など、そのコンテンツ自体が持つエネルギーに引き寄せられて人が集まるという側面はあるでしょう。
しかし、そこから雪だるまのように大きくなるのは、「コンテンツ自体の魅力」と「人が集まることによる魅力」の掛け算があるからこそ、とも思えます。
そして、人が集まるには
「『実際に面白い』以上に、『面白そうか』が重要である」
(=面白いかどうかは試さないとわからない)
のがまず大事なんだ、というのは、実に納得でした。
メルマガも「面白そう」でないと読まれない
ちなみに、この記事も同じです。
自分が「うわあ、この論文、超スゴイ・・・!」と、その密度が高い内容に触れて、興奮気味で記事でまとめを書いても、全然読まれなかったりします。
客観的事実が抱負な論文より、バニーガールがいる会員制クラブのほうが、ずっと「面白そう!」と思われて読んでいただけたり。
あるいは、イケてる成功体験よりも、「100kmマラソンで吐きそうになった」とか、「ピアノの発表会で椅子から転げ落ちそうなくらい失敗した」とかのほうが、耳目を集める、面白い内容になったりします。(ちなみに、どちらも誇張ではなく、リアルな事実です)
「正しさ」も大事。でも「面白さ」も大事。
どこでそれを伝えるかという文脈によりますが、結局このバランスが大事なんだろうと思われます。
今は、自由にそうしたことが発信できる身分ですし、楽しみながら、正しかったり面白かったりするものを発信できたらな、と思っている次第です。
もっと自由に、感じていること、考えていることを、表現できるようになりたいなあと、と思いつつ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!