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先生の前でピアノを弾いて、崩壊して、そして気付いた2つのこと

私の趣味の「ピアノ」について書いてみたいと思います。

ピアノは面白いですが、なかなか難しいです。
打ちひしがれることもあるし、なぜこんな時間を捻出して日々練習しているんだ?と謎に思うこともあります。
それでも自分にとって、学びと挑戦の象徴のような行為で、趣味以上の何かがあると感じてみます。

ということで、個人的な話ですが、よろしければお付き合いください。


先生の前で弾くと、崩壊する

昨晩、仕事終わりの20時からレッスンでした。

4月の発表会に向けて練習している「ラ・カンパネラ」。
前回のレッスンでボロボロだったので、通しでもある程度曲らしく聞こえるように、と思いつつ1ヶ月、毎朝仕事前に練習をしてきました。

ピアノの練習は、地味です。
1小節ずつ、ミスの確率が少しずつでも減るように練習をしていきます。

練習をしても、何が変わったのかわかりません。
なので、意識したこと、ちょっとでも上達したことをメモしています。
たとえば、Googleカレンダーの練習した時間にこう記録します。

「今日はP3の三連符のトリルをゆっくり練習」
「P12の和音をきれいに押せるように注力」
「P10の跳躍部分の指先を意識して弾く」

みたいな感じ。まさに亀の歩み。

▽▽▽

とはいえ、1ヶ月真面目に練習しました。
だいぶマシになったかな、と期待しつつ、レッスンのはじめにピアノの先生に、練習の成果を聞かせてみます。すると弾き終わった直後、

「・・・」

と一沈黙の空気が生まれました。

そう、「相変わらず、全然ダメだったから」です。
いっていれば、曲になっていない、崩壊している状態です。

あれ、一人で練習するときは、もうちょっとまともに弾けたはずなのに。

曲のイメージはできていますか?

あ、やばい、これは発表会に間に合うレベルじゃないぞ・・・。
と焦りながら、言い訳がましく、つぶやきます。

「曲が長くて、集中力が切れてしまいます。
 集中力が切れた瞬間に、一気にミスが続いて崩壊します…」

すると先生は言います。
「頭の中での曲のイメージはできていますか?」と。

続けてこのような問いを投げられました。

・曲全体の「起承転結」をどのようにイメージしているか?
・そもそも起承転結の、「起」はどの部分と考えているか?
・では「起」の中ではどのようなストーリーを考えているのか?

え・・・なにそれ?そんなこと、考えたことないんですけどー、と思います。でも、抽象的だけれど、なにか重要であろう問いであることは、直感的に理解できました。

なぜなら、「答えられなかった」からです。

おおまかに、パートや切り替えはあることは明確です。
「パート1、パート2、パート3」みたいに独立している。
ただ、「起承転結」というストーリー意識を明確には持っていなかったし、言葉にもしていませんでした。

特に「起」の部分で、どんな流れ、変化があるのか?なども意識せずに、譜面に書かれている音符をとにかく押す、次に来る球を打ち返す「作業」のようになっていると気づきます。

「和音」と「和声」の違い

たとえば、カンパネラで言うと、冒頭の「起」に当たる部分(P1-2)は、「左手の和音が発展していく形で進んでいく」、と先生は解説します。

それが、和音が形を変えながら進む時に、和音をただ鳴らすじゃなく、どんな風に展開して音の響きを変えていくとストーリーができるのか?

たとえば、1ページ目の最初の和音も、だんだん音が高くなっていく。
そこは盛り上がリをつけていく、その後は落ち着いた音にする。
それをどんな風にイメージして、それを形にしていくのか?

1ページ目の同じ音の和音を崩した形で、次のページにも同じ音が展開して出現する。では、1ページ目とどのような違いをつけて弾くのか?

ああ、自分にはそんな発想すらなかったことに、「音をバラバラにして鳴らしている」だけだったんだなと、と気づくのでした。

▽▽▽

そして、このことは「和音と和声の違い」というそうです。
和音(アコード)は「ドミソ」という一つの組み合わせ。
和声(ハーモニー)は「ドミソ→シファソ→ドミソ」という和音の連なりです。これがまさに曲に奥行きをもたせる、ストーリーを表現するものとなるようです。

赤が「和音」、黄色の連なりが「和声」
ラ・カンパネラP1より

ピアノのレッスンからの気付き

そして、「先生の前で崩壊したレッスン」とそこからの示唆について、気づいたことが2つありました。

イメージできないことは、マネージできない

1つ目が、「イメージできないことは、マネージできない」という話です。

これは大学院の、リーダーシップの授業で学んだのですが、「自分の行動とその結果を詳細にイメージができてなければ、マネージすることはできない」いう話です。

なんとなくやって、なんとなく望ましい結果が出ることはありません。

リーダーがプロジェクトを進めるときも、そのときの動きやチームメンバーの心境をイメージできていなければ、適切にマネジメントはできない。

研修プログラムを実施するときも、冒頭の挨拶からワークまで、分刻みでやることの詳細がイメージできているから、初めてマネージできます。

フルマラソンもそう。1kmどれくらいのペースで進むのか。最初はどれくらいで、中盤はどれくらいで、スタミナがどのあたりから切れそうなのか?そうしたことをイメージしているから、レースをマネージできます。

そして、ピアノも同じなのでした。
最後まで「音を押す」のではなく、そこに流れやストーリーまで含めて、細部までイメージすること。
そうした細かいイメージを持つことで、一音一音への意識が高まる。
それが、結果的にミスを減らすことにもなり、曲全体をマネージすることができる、先生の言葉から、私はそんなことを受け取りました。

「行為の定義」が、行動に影響を与える

2つ目が、「行為の定義が、行動に影響にあたえる」という話です。

私はピアノについて、しばしば「マラソンみたいなもの」と定義していました。「コツコツ、淡々と練習をしていけば、形になる」と思っているからです。

楽譜は変わることはありません。だから繰り返し、淡々と練習すれば、形にすることはできる。マラソンもコツコツ走れば走れるようになる、だから似ているよな、と。

しかし、決定的に違うことがありました。
それは、ピアノは「音楽であった」ということです。

淡々と、コツコツ、マラソンのようにやることはある側面ではその通りです。しかし、音を鳴らすことを淡々とコツコツ練習するのみでは、ストーリーを奏でる要素は含まれていませんでした。
そしてその言葉の定義が、結果的に自分のレベルアップの足かせになっていたようにも感じます。

自分がその行為を、なんと定義するのか。

「マラソンのようにコツコツやって、弾けるようになるもの」なのか。
それだけではなく、「ストーリーを描き、一音一音の紡ぐもの」とするのか。それによって、練習の仕方も変わってくるように思うのでした。

たかがピアノかもしれません。もっと仕事しろよ、とツッコミが入りそうですが、ピアノを通じて学べることも多々あると感じます。

人生長いので、ちょっとずつレベルアップしていきたいと思います。
さて、発表会まで間に合うのか。とにかく、頑張ります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

余談:ピアノは知能を伸ばす上でも役立つと、新聞にありました。脳トレにも、とってもおすすめです。


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