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「あなたは何で憶えられたいのか?」という問いを改めて考えた。

こんにちは。紀藤です。先日メルマガ4000号を迎えて、色々な方からお祝いのお言葉を頂きました。スタッフさんからはお花を頂き、妻からは「いちごクレープ」(byセブンイレブン)をもらいました。

何かを「続けている」ということが、誰かの刺激になっているのであれば、それだけで意味があるようにも思えました。内容はとにかくとして、今後も続けていきたいと思います。

さて、昨日は「4000号だ!」と気を張って書いたのですが、実際、noteではそんなにリアクションもなく(笑)、まあそんなものだよな、と思ったのでした。つまり、「本人のこだわりと他者の興味は比例しない」という話です。

今日はそんな出来事と、そこから思った気付きについて、ゆるりと書いてみたいと思います。それでは、どうぞ。

▽▽▽

さて先日、こんな記事をnoteに書きました。

タイトルは『論文のまとめを「生成AI」に任せて失われたもの』です。

ふらっと何気なく書いた記事でしたが、2日で300のスキをもらって、フォロワーさんも100も増えました(ありがとうございます!)。プチバズりってすごい・・・と感動しました(皆さん、ありがとうございます)。

一方、先日、こんな記事もnoteに書きました。

タイトルは『毎日書いて4000号。メルマガを続けられた3つの理由』です。

めっちゃ気合を入れて書きました。思い入れが強いテーマだったので、気づいたらすごい推敲をしていました。ただ読者の皆さまリアクションは、ぼちぼちの反応でございました(汗)。

さて、これらのことから思うことがありました。

それが「本人のこだわりと他者の興味は比例しない」ということです。

自分がめちゃくちゃこだわって、興味を持って、熱く語りたいことがある。
でも、それは必ずしも反応がよいわけではありません。

一方、全然興味なく、何気なくふらりと書いたものに、注目が集まることがあります。

私の例(ちょっとバズった記事)で言えば、おそらく「論文」✕「生成AI」、そして「人間の介在価値とは?」というテーマが多くの方の興味の中心の渦に近かったことが、こうしたリアクションを集めたのだと思います。

ここに、本人のこだわりと、他者の興味の乖離があります。

▽▽▽

では、この間でどちらに、注力すべきなのか?

自分のこだわりを大事にするのか。他者の興味に寄せるのか。
このことが、ここ半年ほどのテーマでもありました。

その中で、先日ふいに問われたことが、答えをくれたように思いました。

それが「あなたは何で憶えられたいのか?」という問いです。

ある日ふいに「紀藤さんは『強み』で憶えられたいのか?『自分らしさ』で憶えられたいのか? 『弱み』で憶えられたいのか?」と問われました。

そして「自分がどの分野で専門家とみなされたいのか? どんな仕事の依頼をされたいか?」と考えると、やっぱり自分は「強み」である、とその後、定まっていくように感じたのでした。

▽▽差なく

たとえば、上述のnoteの記事でも、「論文✕生成AI」が受けたからといって、私はその領域の専門家になりたいとは思いません。

一方、誰かのスキがなくても、自分は「強み」が好きなのです。

「あなたは何で憶えられたいのか?」。

この問いに、他者の評価と関係なく、注力すべき方向のヒントがある。
そんなことを感じた次第です。

40を過ぎて惑いまくっている自分に幼さや恥ずかしさも感じますが、自分の道を打ち立てるべく、ここからもっと積み上げていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

「何によって憶えられたいか
 その問いかけが人生を変える」

ドラッカー名著集『非営利組織の経営』より

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