私が人目を気にするのはなぜだ
心理学を学び始めて、カウンセラーになりたい気持ちが湧いた。
資格を取ると仕事として急に現実的になり、
それはそれで尻込みする。悩ましい。
転職を考える時、心配事として
1.経済的な不安
2.親の目、他人の目
が上位にでてくる。
経済的な不安は転職活動につきものである。
問題は二つ目だ。
なぜ、気にするのか。
気にする必要があった/気にする方が良いことがあったからだ。
私はいったい何を気にしていたのだろう。
保育園でいじめられたことか、
親が怒りっぽかったことか。
今となっては分からない。
確かなのは、
「こう思うに違いない」
「こんな感情に違いない」
という思い込みを現実と決めつけ、
架空の他人を気にしているということだ。
私はたまに田舎道を散歩する。
ここ最近、私が通りかかると鴉が騒ぐ。
自転車の中学生や早歩きのおじ様/おば様には無反応なのに。
ギャアギャア鳴いては私の頭上だけを旋回し、
近くの木にとまると、
また私を見ながらギャアギャア鳴く。
なぜだ?
何を怒っているのだ。
私は何もしていない。
鴉に嫌われたことも悲しいが
理由が分からないのは、とても気持ち悪い。
先日、また鳴かれた。
いつになったら分かるのだ。
ただ散歩しているだけだと。
しかし私はふと考えた。
「これは同じ鴉か?」
「そもそも怒っているのか?」
現に、ギャアギャア鳴くが襲われてはいない。
言葉が通じないので真意が分からない。
真意が分からない相手に、
怒っているとか嫌われたとか、
まさに思い込みではないか。
鴉にしてみれば、気持ちが悪いのは私の方である。
言葉が通じても、
時に訳の分からない言動でこちらを困惑させる人はいる。
おそらく理由は一生わからない。
なら鴉も人間も、
目の前には事実があるだけではないだろうか。
自分を見てギャアギャア鳴く鴉がいる事実。
何らかの感情を顔に浮かべる人間がいる事実。
どうせ理解できないなら、鴉も人間も一緒ではないか。
思い込みで架空の他人を気にするのは、
鹿を見てユニコーンに違いないと思い込むのと同じなのかもしれない。
そう考えると、他人の目を気にする気持ちが少し落ち着いた。
なぜ気にするかを気にする必要もない気がする。
(語彙力のない文章を笑ってください)
目の前にあるのは事実か、架空か。
できる時に、できる事から、試してみよう。
うまく行かなくても、誰も知ったこっちゃないのだ。
📝心理療法の話
認知療法
思い込みに気づく:事実に対し歪んだ判断をさせるスキーマを見つける
思考の癖に気づく:どんな時に歪んだ判断をしているか(自動思考)を見つける
スキーマと自動思考を明確にできるようになれば、
本当に気にする必要がある事実だけに向き合える。
小刻みな内観を必要とする地道な療法である。
個人的に「~すべき」思考が強い方には少々重い療法に感じる。
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