「この子は一生話せないかもしれない」と医師に言われた自閉スペクトラム症のお子さんがいるお母さんへ。
これは10年前の自分に対して、そして同じ境遇で悩んでいる方へ伝えたい物語です。
息子が2歳の時、医師から「知的障がいと自閉スペクトラム症の可能性がある」「この子は一生話せないかもしれない」と言われ、現在の息子は12歳になり10年前は絶対に想像できなかった姿があります。そんな家族の頑張りと挑戦から学んだことをお話します。
私は12年前に男の子を出産しました。分娩時にトラブルがあり「この子は大丈夫かな?」と不安と喜びが混ざった初めての子育てスタートでした。想像していた赤ちゃんとは何かが違う…とっても可愛いけど「目が合わない」「笑わない」「泣かない」「静かでとてもお利口」など、周りにいる子育て中の友人たちと悩みも違う、全然共感もできないことにすごく不安になりました。
新生児期〜1歳頃まで「どうしたらいいのか?このまま時間だけが過ぎていってしまう…」と悩み続け、勇気を持って相談した身内には「障がいがあるなんて気のせいよ」「2歳まで待って」「もっと赤ちゃんに話しかけたり笑いかけてあげて」「抱っこやオムツ交換、授乳をすぐにしないで」「もっと沢山絵本を読んであげて」など助言され更に落ち込んでしまいました。アドバイスや否定ではなく、不安をただ受け入れて欲しかったのを強く覚えています。
1歳を過ぎた頃、私は不安な思いで実母に打ち明けました。「やっぱり息子は何か障がいがあると思う…大きい病院で診てもらいたい」と話すと、実母から「母親の勘っていうのは当たるから、あなたが気になるのなら先延ばしせず早いうちに出来ることをした方がいい」と小児精神科を受診することを後押ししてくれました。
その受診をきっかけに、私たち家族はどんどん「療育」の道を進んでいくことになりました。(※療育:障がいを持つ子どもが社会的に自立して生活できるよう、それぞれの発達状態に応じた支援をおこなって発達を促すこと)
1歳半で初めて児童発達支援に通い始めましたが、通所の道すがらもただ疲れるばかりで、何も好転しませんでした。
2歳になったものの、指差し、喃語も発語も全く無かったため言語聴覚士による療育を受けました。他のお友達とも遊ばない、つま先歩きをする、人と手を繋ぐことを嫌がる、急に走って脱走するという特性もあったので集団療育を受けたり、応用行動分析学ABAによる療育も受けました。いくつもの病院や児童発達支援先で様々な医師と先生、似たような悩みを持ったお母様方に出会えました。毎日とてもとても大変でしたが私自身頑張ることができました。今振り返ると、私たちはご縁に恵まれていたのだなと思います。
そして、3歳半を過ぎた頃に息子が青色のオモチャを見て初めて「あお」と発声しました。絶対にもうしゃべらないのかもしれないと諦めかけていた矢先の初めての発語でした。青という意味で発したのか、ただ「あ」と「お」を順に発声してたまたま青いものが目の前にあっただけの偶然かもしれない、初めは信じられないのが本音でした。
そこから徐々にではありますが、単語が増えはじめ、やっとママやパパと言うころには4歳になっていました。この時点での語彙はそれら含めて50単語くらいです。
意思疎通はなかなかスムーズにはいかず難しいけれど、息子は言葉をどんどん覚え、文字を理解し息子の世界が広がっていきました。
そして、小学生になり支援学級で熱心な先生方に出会い、自発的に机上で勉強を楽しむ姿も見られました。いつの間にか魚や虫、花などの名前を覚え自然にとても詳しくなっている姿には驚きました。ひらがなカナカナだけでなく漢字やローマ字を使って文章を書くことも、足し算引き算で計算することも6年間を通して出来るようになりました。
「自分が進んで動かないと絶対に何も変わらない」当たり前なことだけど、努力する大切さ、行動する大切さを息子を通して改めて教えられた気がします。
「子ども」は私が人生の中で楽しみにしていた夢のような存在。我が子と一緒に笑い合いたい。ママって呼んでもらいたい。手を繋いで一緒に散歩に行きたい。
この気持ちや夢や期待を、私は10年前の診察室で一度失いました。そして、それらはもう一生取り戻せない世界に入ってしまったと感じました。
今の私は当時の自分や似たような悩みを持つ方に是非このフレーズを伝えたいです。「どこに向かうかなんてのは後でわかるから進め」です。
とにかく自分を信じてネバり続けて前へ進んでいってほしい。想像もしていなかった未来が必ずそこにある。そんな事を私自身も強く感じることができた10年でした。
実はさっきの特徴的なフレーズ、私の好きなアーティストが出した応援ソングの一部なんです(笑) 私の青春時代から今に至るまで、色々な場面で彼の曲に勇気付けられました。
とっても素敵な応援ソングなので歌詞を一部だけ紹介します↓
私たち家族は、医師、療育、幼稚園、学校の先生方のサポート、出会ってきたお母様方の声かけ無しでは決してここまで来れませんでした。
そして私とパパの二人三脚だったからこそ大変な子育てを乗り越えてこれました。まだまだこの先も私たち家族の成長(と努力)は続くし、試練も沢山あるけれど、粘り強く決して諦めない人生にしていきたいです。
「想像していなかった未来」ではなく「想像もできなかった未来」でしたが、読んだ方の小さな勇気につながれば幸いです。