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でこぼこコンビ
同窓会は数年ぶり数十年ぶりで同級生に会えるので楽しいものだ。一堂に会すると、心の奥を耕すかのように懐かしい感情が湧き出てくる。しかし、これから親しい付き合いが再開するかと言うとそうでもない。やはり現在の環境や生活、趣味など、学生時代とは異なるので一、二回会うことはあっても、そのまま現在の友達のようにはいかないものだ。
ところが今回のクーコとの再会は違っていた。6年前に高校の還暦同窓会があった。参加者が多く、懐かしい友人たちばかりで話に夢中となり、終り頃クーコに会わなくてはと探してようやく会えた。短い近況報告と電話番号の交換だけした。彼女が大阪に住んでいることがわかり、大阪に行くときは連絡するねと伝えていた。
それから五年後の昨年、大阪で大学の同窓会があるというので、早速連絡。たまたま大学同窓会のひと月前に、鹿児島の共通の友人宅でミニ同窓会に招かれて、そこでも久しぶりに会っておしゃべりした。大阪での同窓会当日は十時に空港到着し、彼女が出迎えてくれた。一緒に梅田へ移動。たくさんの中から良さそうなランチの店を選び、その後彼女お勧めのカフェに並んで待
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って入った。地方都市と違ってお店も多いが人も多い。再会は四十八年ぶり
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なので、話す事が多くて並ぶのも苦にならない。
彼女は高校時代から美人で男子生徒のあこがれの的。卒業後は当時テレビドラマでも人気のあったキャビンアテンダントとして就職していた。その時からの空白、話せば長くなる。きっと華やかな人生を送っていたとばかり思っていた彼女。ご主人が四十歳のころ難病にかかり、寝たきりの状態で約二十年介護したことを聴いて驚いた。還暦同窓会は、亡くなられた直後だったが、なんとか参加したとのこと。人生思いがけないことはあるものだと彼女の心情に思いを馳せた。当時は子供達は小学生、自分が始めたカフェも順調だったころに、難病と分かり、義父母の勧めもあり夫の実家に身を寄せた。夫の介護中に舅を見送り、夫が亡くなった後に姑を見送ったという。どんなに忙しい二十年だっただろう。子供達の事もゆっくり見る間はなかったのに、子供達は良く見ていてしっかり育ってくれたという。普通では考えられない忙しさだっただろう。
その後、社会人となった子供達に勧められて、大阪に住むようになったとのこと。今ではパート勤めをしながら、長男の家の近くに畑を買い、軽トラックを運転して、自家菜園に力を入れているそうだ。温室を二棟建て、比較
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実験をしながらおいしいトマトを作っているという。軽トラック・温室とどれ一つとっても私にはできないこと。たまたま植物に関する仕事をしていた私の弟に話したら、いろんな実験栽培のサイトで投稿された文献が読めるからそれを踏まえて、その続きをやると良いとのことで彼女に伝えた。
会ってから一ヶ月ほどたった頃、彼女から宅急便が送られてきた。
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カラフルな五、六種類の鮮やかな色のミニトマトと安納芋だった。これには驚いた。まるで本格農家の野菜のようだ。ミニトマトは見た目も美しい上に味が良く、安納芋は焼き芋にするとしっとりと味わい深い。プロの品質だった。安納芋栽培は、二人の息子のお嫁さん達の干芋をお腹いっぱい食べたいという希望で始まり五年かけてここまでの品質になったという。ミニトマトの収穫は孫たちと一緒だそうだ。
当日の話に戻る。同窓会が始まるまでの5時間、私たちはおしゃべりを続けた。高校時代の事。私は田舎から出てきていて、市内の人を知らず、友達もいなかった。入学当時は自分が進学するかどうかも決めてなかった。まわりにそんな女性がいなかったからだ。そんな時彼女が声をかけてくれた。音楽室や生物の時の生物室、体育の時は体育館と一緒に連れ立っていく仲になった。進学校だったので、週末には大学入試問題が日曜宿題として出される。私は学校で一日七時間は勉強するようにと言われ、そこまではいかずとも毎日勉強をつづけた。何も取り柄はなかったが、勉強をすることで成績が伸び皆に名前を知られるようになった。月曜日の朝は私の周りに答えを写す人が集まったものだった。彼女はそのことを覚えていて話してくれた。
色々話していくうちに、彼女は高校時代ダンス部の友人の影響で、そのころからロックを聞いていたという。私は四十代でクラシックからロックに転向。ここでも趣味が合い最近のお気に入りバンドの情報を交換した。そしていつかはライブに一緒に行こうと約束した。またカフェめぐりが趣味と聞いていて楽しみにしていたが、ご主人の介護が始まる前まで彼女は喫茶店を経営していたという。畑と言い、カフェといい本格的だ。次回はお勧めのカフェを回ることにしている。
カフェの後は私の希望で、鹿児島ではデパートのハンカチ売り場が縮小され品数が少ないので、大きなデパートのハンカチ売り場でハンカチを選んだ。ここでも好みが一致して嬉しかった。
四十八年ぶりの再会からその後もラインで写真やメールのやり取りが続き、あの日が楽しい交流再開のスタートとなった。