助けること、助けられること。
大学時代、ハンセン病快復村の支援活動をしていた。
行き先は中国の山奥。
何時間も電車に乗り、その後も延々とトラックを走らせ、さらにバックパックを背負って山道を歩いて、ようやくたどり着くその場所。
そこは、ハンセン病快復者と呼ばれる、この病気のために社会から隔離されたままに暮らすおじいさん、おばあさんが住む村だった。
ハンセン病には、重たい歴史がある。薬がなかった時代、治らない、感染する病気とされていたため、人からひどく恐れられ、この上ない差別を受けた。今は治る病気として、隔離政策も終わっている。
けれども、隔離されたまま、戻る場所を失った人たちが暮らしていたのが訪ねた村々だ。そこでは、整った生活環境が用意されているわけではなかった。義足の人もいるのに、足場は土が剥き出しで、雨になるとドロドロになる。共同の台所やトイレも壁が崩れかけていたりと、荒れた状態だった。
インフラ整備として道をつくったり、台所をつくったりする一方、村人の心をケアするための交流パーティーなどを行うプロジェクト。それが私が加わった活動だった。
初めは戸惑い、どう接していいかわからないといった様子だった村の人も、慣れてきてくれると、とても嬉しそうに笑顔で手を振って、話しかけてくれるようになった。
言葉は方言が強いので、中国人ですら何を話しているのかわからないこともある状況。私たち日本人は笑顔とジェスチャーで会話をするしかなかった。
でも、言葉以上に伝わってくるものがあった。
それは、人が人を想う、温かさだ。
朝、鶏の声で目が覚める。
起きて共同の水場に行くと、ちらほら村人にも会う。会えば、皆あいさつをしてくれた。にっと笑って、ひらひらと手を振ってくれる。背中にポンと手をあててくれる。いつも思いっきり元気な声で、あいさつを返した。あいさつの言葉は、数少ない、覚えられた現地の言葉のひとつだ。
言葉が通じない分、村では人の心の動きを察知するセンサーが敏感になっていたかもしれない。表情から、気持ちと意図を読み取る。
わからないからこそ、少しでもわかり合いたいと思う。その気持ちが、学生と村人たちの距離を近づけた。学生と村人は、事あるごとに「なにか私にできることはないか」と探していた。
荷物を運ぶ必要があれば、手分けして持つ、一緒にかつぐ。分け合えるおいしい食べ物があれば、それを出して皆で食べる。話し相手が必要であれば、行って耳を傾ける。辛そうであれば、背中をそっとさする。村では笑顔と思いやりが絶えなかった。
夜はお酒を酌み交わしながら、歌を披露したり、ダンスなどの出し物をする、そんなフェアウェルパーティーの日もあった。皆はしゃぎまわって笑い声が響き合う、楽しい瞬間だ。
私がこの活動を通して教わったことは、
「人のために」という想いが集まった場の温かさと
人の笑顔の美しさだ。
奥深い山奥で支え合って生きる村の人たちは
たとえ顔や体が変形したりしていても
生命力のしなやかな強さ、美しさを放っていた。
その姿は本当にたくましくて、たとえば、
70歳を過ぎていても斧を持って坂道を駆け上がり
バッサバッサと薪用の木を切り倒していった。
人とは本来こんなに元気なものかと、目を丸くして、笑ってしまう。
夜、村のおじいさんの話を聞きに行く。(中国語はわからないので、中国人の学生と)。小さな灯りのもと、長く伸びる影の中で、おじいさんはゆっくりと話す。穏やかな笑みと、幾重もの悲しみを経て、なお失われなかった瞳の輝き。言葉はわからないけれど、声の抑揚、言葉のリズムが、しっとりと体に染み込んでくる。
人の美しさは、
自分が手放さない限り、
失われることはないのだと
私は教わった。
私がこの活動を通して得たものは、
人は人を求めるということ。
そして、深い絶望の中からも
人は回復しうるということ。
ハンセン病の差別は深く、家族から家を追い出されたり、殺されかけたりした人さえいる。それでも、村人たちは笑顔を失わず、支え合って生きていたのだ。
私にとって、とてつもなく深い苦しみを経て、なお失われない美しい笑顔と優しさを持っていた村人たちの姿は、人間という存在に対する、希望そのものだった。
中国に行った最後の日、
「こうしたらお前のことを忘れないだろう」
そう言って、私の折った折り鶴を
毎日見る鏡につけてくれたおじいさん。
その屈託ない笑顔は、
今もあせることなくこの目に浮かぶ。
そんな記憶たちは、たとえ頭に思い浮かんでいなくとも、窮地のとき、私を生かしてくれているんだと思っている。
胸の奥の大切な場所を、温めてくれた。
私がこの活動に参加したのは、すでにこの活動をしていた人たちが撮った写真に映る、村人の笑顔の美しさに惹かれてだった。
「支援活動」なんて名前がついていたけど、助けに行くなんて思うより、会わせていただく、そんな思いだった。
助けるとは、なんだろう。
この活動において、言うならば、
人は皆、人の役に立てることが嬉しい。
だから、もし、私を役立たせてくれるのであれば、
嬉しいのは私だ。助けられているのは私なのだ。
助けることと、助けられることは、ひとつながりで、メビウスの輪のようにどちらが表でどちらが裏かわからなくなる。
そして、本当にその人を助けているのは、
その人自身なのだ。
その前提があって、
助けることと助けられることが
つながっていくのだと思っている。
お互いがお互いの存在を喜び合える。
そんな場に居合わせてもらえたことが
嬉しくてならなかった。
私をこの活動と出会わせてくれた
すべてのものに、感謝している。
大切なことを教えてくれて、ありがとう。
出会ってくれたおじいさん、おばあさん。
一緒に活動してくれた仲間たち。
ここでもらった贈り物を、また誰かに手渡していく。
そうやって、助ける、助けられるが繰り返されていくことが、人が生きていく自然な営みに思える。
その循環と温かさを、人が取り戻していくこと、
それが、人の中の“自然”をよみがえらせ、
人の生命の力が輝きを取り戻す
鍵になるのかもしれない。