伊郷俊行さんが語る「発見の会」とその周辺の出来事(2) 〜1960-70年代の話を中心に〜
「発見の会」とは、明治末期を発祥とする「新劇」の劇団に属した瓜生良介氏らが、1960年代に立ち上げたアングラ劇団です。その会から発展して生まれた音楽集団「渋さ知らズ」の名前を聞けば、なるほどとうなずく人もいるかもしれません。
60年代後半から、この劇団と楽団とともに過ごしてきた人がいます。池上線の洗足池駅近くで、たこ焼き屋を営む伊藤俊行さんです。
本公演『大正てんやわんや』にも出演する伊郷さんが、さまざまな表現者と関わり過ごした東京で、どんな人と出会い何を見てきたのか、今とも重なるであろう、混沌とした時代状況の一片を探ります。
本インタビューは、大田区・洗足池にある伊郷さんのお店「たこ焼 笛吹」にて、「発見の会」や「渋さ知らズ」に関わってきた氏が見たこと、聞いたことを、2022年2月ごろから少しずつ伺いまとめたものです。
橋本佳子も優秀な人で、演出助手までやったりしてたんだ。その後、テレビマンユニオンに入って。それからユニオンを辞めて、番組制作会社の「ドキュメンタリージャパン」(※1981年設立)っていうのを何人かで作って、すげえ有名になった。こないだもNHKのアラスカとかアイスランドとか、そういうののドキュメンタリーをやってた、あれもよかったよ。それが後輩ですね。
https://daigakujihou.shidairen.or.jp/download/?issue=347§ion=7
── 橋本佳子さんは、ドキュメンタリージャパンを立ち上げた方なんですね。
こないだ会ったんだもん。今井次郎(1952-2012)くんも同じ時期なの、死んじゃったやつで、なかなかおもしろいユニークな芸術家だったんですけど、彼のドキュメンタリー映画(『芸術家・今井次郎』2021年)のプロデュースを橋本さんがやってんですよ。観に行ったときに本人いてさ、「わー」っつって。「変わんないね」とか言って。エライ人にヨシコ、ヨシコっちゅうから周りも少し驚いちゃって。(一緒にやってていた)当時、「ハシモト」って3人いたんだよ、だからみんな下の名前で呼んで、カズオ、ヨシコ、クニコ、かな。だから周りの社員が「え?」って。よくわかんないおじさんがさ。
── 今は音楽産業も変わってきて、音楽で大穴一発当てる、というのはなかなか難しい時代になったのかなと。音楽に限らず、ほかの表現の分野もそうかもしれないですが。
随分変わったよね。俺たちのころは、五社協定ってのがあって、映画会社はレコード会社と契約してたから、大きい会社からしか販売できないと完全に思ってたから。それをおもしろくねえなと思ってる人たちが俺たちより上の世代だった、今90歳ぐらいの。日本で初のインディーズ・レーベル「URCレコード」も生まれたね。映画界と演劇界だったら、新劇の中から出てくるわけじゃないですか。瓜生さんも新劇ですから。
新劇はジャンルでね、「文学座」とか「俳優座」、「劇団民藝」みたいなね。
── そこに所属して、それからそれぞれ自分で旗揚げしていったんですね。
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