日本はどんな国になっていくのかな
娘が7歳の頃、すごくすごく久しぶりに日本に帰国することになった。それまでにも何度か、一緒に帰国したことはあったけど、幼すぎて、娘には日本の記憶が残っていない。
その時の宿泊先では、事情があってお風呂が使えなかったので、せっかくだし、近所の銭湯を体験するのもいいかな、ということで、家族で銭湯へ。
私はこどもたちと、一緒に入浴したことがない。着替えるところもほとんど見せないし、裸になったことなんて全くなかった。銭湯に行くということは、親どころか知らない人とも裸になって一つの空間にいるわけで、娘にとってはものすごく強烈で、かなり覚悟のいることだったらしい。出かける前はかなり嫌がった。
(実際、数日通わせてもらった小学校のクラスメートに裸で会うことになったり、気のいいおばあちゃん達にお風呂の中でずっと話しかけられたりで、本当に大変な経験をした。)
でも、まぁ、なんとかやり遂げたわけだが、おうちに帰るみちすがら、眉間にシワをよせながら、娘が控え目に尋ねてきた。
「ママ、あのお風呂は日本人専用なの?」
「ちがうよ。誰でも入れるよ。だけど、あなたが嫌がったみたいに、他の国の人には人気がないかもしれないよね。」
そう答えると、笑顔になってこう言った。
「よかった。もしそうだったら、すごく嫌な国だなと思って、もう日本には来たくないって思ってたの。」
私は東京出身だけど、こどもの頃は見た目が明かに違う外国人に会ったことがなかった。今は、ずいぶん増えたと思うけど、特定の地域を除けば、住宅街で肌の色の違う人に出会うことはそんなにない。ロンドン育ちの娘は、町で会う人がみんな日本(人っぽい)人ばかりであることに、ずっと違和感を覚えていたらしい。
彼女にとって、多様性は「知る」ものではなくて、「ある」のが普通の環境なんだな、と思い知った。それが普通の状態だから、多様性がないと居心地が悪い。
そういう日常のなかで、子ども同士はなんの抵抗も、わだかまりもなく楽しく過ごせても、どうやらそれをいやだと思う大人がいるらしい、意地悪をする人がいるらしい……ということも、ぼんやり感じ取っていた。「差別」という言葉を知らなくても。
子どもはまっすぐで、その正義感は眩しい。どうやったら、その正義感をもったまま大人になれるのだろう。いつごろ、何をきっかけになくしてしまうんだろう。
私は彼女に「他の国の人には人気がないかもしれないよね。」という説明をしたけど、本当は違う考えをもっていた。「本当に、だれでも気持ちよく入れるのかな。受け入れてもらえるかな」とぼんやり思っていた。
嫌でも変わっていく日本。日本はどんな形で多様性を受け入れていくんだろう。