婉曲表現の今昔〜回りくどい表現は「攻撃」になる??〜
先日、cotoのコミュニティ・チャットにご自身の経験をシェアしてくださった投稿がありました。
中級学習者と日本語の文末表現について勉強していたときのこと。次のようなご意見をいただきました。
婉曲的な表現は、昨今よく聞くようになった言語運用における”passive aggressive(受動的攻撃性)”だと考える人もいるというのです。
その先生は、日本語教師として、学習者が他の日本人から誤解されたり下手な軋轢を生んだりしないように、またある程度社会生活をスムーズにスマートに生き抜くために、日本語ならではの婉曲表現の必要性は教えるべきだと考えていたので、ちょっと戸惑ったそうです。ということで、昨今は学習者のパーソナリティにも合わせて、ソフトランディングできる表現を教えたいと思い始めたとおっしゃっていました。
たしかに日本語ネイティブは直接的な表現を避け、婉曲表現を使う傾向があります。
実際「~がほしいんですが…」「うーん、明日はちょっと…」といった婉曲的な表現が初級テキストから出てきますし、レッスン中に学生の発言が日本語会話の中で直接的すぎると感じたときは、「~じゃないでしょうか」「~のような気がします」といったやわらかい印象の表現を教えることもあります。
ですから「passive aggressive(受動的攻撃性)じゃないか?」という意見をもらった、というチャットの投稿を見たときは驚きました。そして「たしかに~!」と唸ってしまいました。
というわけで、今回はこの婉曲的な表現について、「今・昔」という観点から考えてみたいと思います。
日本だけに婉曲表現があるわけではない
婉曲表現は、関係性では距離の遠い人とのコミュニケーション、また場面だとビジネスでのやりとりでは必須スキルと言えます。
この回りくどい表現は日本だけに限った話ではなく、東西・国を問わず多かれ少なかれあるように思います。皮肉やブラックジョークなどもこの類かもしれません。
実際に、こちらのチャットに投稿された別の先生が以下のように言っていました。
ドイツ人の学生が「先生、寒いですか」としきりに心配そうに聞いてくるので「いいえ、大丈夫ですよ」とエアコンをつけずに授業していた。しばらくして「先生!私は寒いです」と言われてしまった。
「最初から”先生寒いです”!とか、”エアコンをつけてもいいですか?”と言ってくれればいいのに!」とも言いたくなりますが、その方は「言葉の真意に気づけず、私の配慮が足りなかった…」と反省されたそうです。
この感じ方からも、聞き手のほうに婉曲表現の意図を理解することが求められていると分かりますよね。
具体的・直接的表現の必要性の高まり
先ほどのドイツの学生さんのエピソードで触れたように、婉曲表現は国を問わず多かれ少なかれあるように思います。
しかし、古今(年代)によってはどうでしょうか。
年代によっては回りくどさが禁忌のようになって、passive aggressive(受動的攻撃性)などというコトバも生まれてきたのではないでしょうか。
個人的には以下の3つの背景のため、具体的・直接的表現の必要性が高まっていると感じています。(詳しくはコトハジメの記事をご覧ください。)
①多様性が大切にされる社会
②ネットコミュニケーションの浸透
③意図や空気を読むことが苦手な方々への配慮
ビジネスコミュニケーションの場においても、言語化する能力が求められている昨今です。5W1Hが含まれた具体的で直接的な指示が必要とされ、「上司の顔色を見て」「先輩の背中を見て」「お客様の様子を見て」が通用しなくなりつつあります。意図や空気を読むことが苦手な方々への配慮は昔より必要になってきているようです。まさに「古今(年代)」による変化ですね。