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日本について外国人に聞かれたら?ー日本の教育事情(番外編:帰国子女)ー

前回は『日本について外国人に聞かれたら?ー日本の教育事情(大学と就職活動)ー』について書きました。

先日、アメリカの補習校で高2、高3と小論文を教えていた生徒からこんな嬉しいメールをもらいました。今回は番外編ということで、帰国子女受験で日本の大学に進学した彼の体験談をご紹介します。

日本とアメリカの教育事情、帰国子女の受験事情が垣間見えると思います。

以下、メールの抜粋

(前略)私が最近見つけた発見を話させていただきます。その発見とはズバリ、「小論文の勉強は無駄ではなかった!」と言うことです。何を当たり前の事を、と思うかもしれませんが、私は前々から帰国子女受験の制度に疑問がありました。日本で受験する学生は毎日、とても競争率に高い環境に置かれて、ものすごい時間を勉強に費やします。

一方、我々帰国子女は、正直言ってそこまでの努力をしている様には見えません(私も含めて)。当然勉学を怠った訳ではありませんが、日本の受験生ほど勉強尽くしの日々であったと自信を持って公言する事はできないでしょう。これなら、「帰国子女は楽だ」と言われても仕方ないのかもな〜と心の隅では思っていました。

その印象が変わった理由は、大学から課される課題は全て論述形式のものだったからです。大学に入ってまず思ったのは、「これって小論文の延長線みたいなものじゃん」と言う事です。毎日毎日、400字以内、800字以内、1600字以内、と言った課題でひたすら書きまくるのが文系大学生の勉強でした。

この事から分かったのが、日本の受験生は知の吸収力が高くて、帰国子女は知の発信力が強いと言う事でした。そして、大学という場所はその両方が求められる場所であると言う事です。

膨大な量の知識を叩き込まれて、それを自分の中で咀嚼して、文字として吐き出す事が大学での勉強だと理解して、初めて帰国子女の存在意義を見出しました。つまり、大学が求める帰国子女とは海外体験という特殊な input と勉学の融合体を上手に output できる人間ということです。そして、先生の小論文の勉強はそのinputとoutputを同時に鍛えるのにうってつけだったという訳です!

書きながら思い返してみると、先生の授業もキチンとinputとoutput両方を鍛える様に意識されていたな〜と今頃になって感心しています。

また、この発見を通して、帰国子女の弱点はinputにある気がします。自分の好きな話題なら幾らでも書けるのに、小難しい社会問題になると急に及び腰になるので、社会問題を身近なリアリティーのある問題に昇華する必要がありそうですね。(後略)

まとめ

いやあ、これだからこの仕事はやめられないっ!!彼の洞察力、思考力、表現力にあらためて感心し、成長に大いに感動しました。そして、日本の学校教育のあり方について大いに考えさせられました。今、彼はオンライン家庭教師のアルバイトで英語と社会を教えているそうです。おそらく日本の英語教育や学校教育についてまた何か思うことがあることでしょう。報告が楽しみです。

すべての帰国子女が彼のような視点を持っているわけではないし、考察ができるようになるわけではありません。滞在した時期や長さにもよるでしょう。本人の性格や能力にもよるでしょう。ただ現地の学校に通っていれば、1日8時間は学校で過ごしているわけですから、日本を内側からも外側からも見ることになります。帰国子女には帰国子女の大変さがあって、いろんな苦労や戸惑いはあるとは思いますが、それでもこの経験は間違えなく素晴らしいギフトです。

昨今、日本の学校教育は従来の暗記中心&知識偏重型の受動的な学習からアクティブ・ラーニングやPBL(Project Based Learning)など積極的・能動的な学習方法へと変わってきています。国も学習指導要領改訂で積極的に推進しています。

『日本について外国人に聞かれたら?シリーズ3ー日本の教育事情ー』でもありましたが、それぞれの国の教育システムにはメリットもあればデメリットもあります。たとえ先進国であってもです。正直、何が正解かはわかりません。ただ、今後どんな困難があっても、どんなところであってもサバイブできるたくましさ、考える力、判断する力、自分を発信する力を育んでいってほしいと切に願っています。

日本の学校教育は今後どのように変化するのでしょうか。目が離せません。

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