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まぼろしには 「白い満月」と
まぼろしには、乳白色の粉が、溶け込んでいる。あまやかで、どこか不安げな。学校の図書館で、百年文庫という一文字の漢字をテーマに作品が編纂された、すてきな本を見つけたので、思わず手に取った。この作品のテーマはもちろん、「幻」だった。ちなみに、ヴァージニア・ウルフの「壁の染み」、尾崎翠の「途上にて」も収録されていた(わくわく)。今回も、わたしの好きな部分を引用しながら、所感を書いてゆこうと思う。
私は母の不品行を、たといそれがあったにしろ、責める気持はない。それを許す気持もない。責めるとか許すとかいうのでなく、妹たちの姿を通して、母の生の喜びを、汚れを洗いつくしたあとの清らかな感じで感じたのである。
この作品で「私」は、彼の母親のことをうつくしい(セロハンに染められたような)眼で眺めている。家族にまつわる事柄については、彼は受け止める側にいるが、このようなまなこだからこそ見つめ続けられたのかもしれない。
この作品では、「私」も、彼の姉も妹も、母は同じだが父が別々だ。そのことが、事実としての影を落としているが、実際は彼らにはゆっくり流れる下流の水のようなものだっただろう。母という存在の、絶対的なぬくもりは、その辺に表れているように思う。
「どこまで歩けば聞けるのかね。白い満月が黄色くなってしまう。」
会話に登場する月は、たぶん神さまより神さまなのでは、と思う。
「それが静江のためにはよくないと僕は思っているんだ。お前が月の光は太陽の光より明るいと言うと、静江は自分の眼が悪いのだと信じるんだ。例えば着物なんかでも、小さい時からあいつはお前のお古ばかり着て育ったんじゃないか。」
盲目さ、か弱さ、についての言葉たち。静江の、無抵抗なやわらかさが読みとれて、胸がきゅっとなった。
その眼は涙に濡れながら視点がまだきまらないらしく、びっこを引いた病的な瞼の線が寝ぶくれて幼なげに見えた。父から受けた悪い遺伝を感じさせる濁った眼が不思議に清らかだった。白い満月を仰いだ時のお夏の眼を、私は直ぐに思出した。
「白」という色が似合うと思った。お夏も、早い時間の満月も。ポスターカラーの、塗りつぶすための白ではなくて、ミルクのように、水の透過性が含まれた白なんだろうな。
「なんて言ったってしかたがありませんもの。この秋に死にますね。木の葉が落ちる時分ですね。」
「それがいけないんだ。死ぬと決めてしまうのが。」
「私なんかどうなったっていいんです。死んだっていい人間は沢山あると思います。」
この部分は本の裏表紙にも引用されていた。こんなにまっすぐに自分の死を予感しているなんて、この言葉には鋭い矢で射抜かれたような気持ちになる。死にたいと思うことはあったとしても、また病気などでじわじわと予感することはあっても、なかなか無い死への姿勢だ。こんなふうにはっきりと鮮明に感じる死というのは、どのような感触なのだろう。
お夏は固くうつむいていた。突然私はこの自分の滅亡を予見したと信じている存在に痛ましい愛着を感じた。このものを叩毀してしまいたい愛着が私を生き生きとさせて来た。私はすっくと立上った。うしろからお夏の肩を抱いた。彼女は逃げようとして膝をついと前へ出した拍子に私に凭れかかった。私は彼女の円い肩を頤で捕えた。彼女は右肩で私の胸をるように擦りながら向直って顔を私の肩へ打ちつけて来た。そして泣出した。
「私よく先生の夢を見ます。痩せましたね。胸の上の骨が噛めますね。」
このラストがすき。あまりにも根本的な愛のように感じられる。それは、死というものが近くにあることが関係しているからだと思う。でも、単にかわいそうとかいう感情で突き動かされた物語ではないようにも思えた。まったくそれが無いというわけでもないだろうが、こころが疼くようなものに近かったのかなとわたしは思う。最後まで、「私」はお夏の信じる死を信じていないように感じる。その意味で、ふたりは同じものを信じているわけではなかったが、それでも惹きあうところがあったのだ。お互いに、遠い目をしている少女への愛着と、現実に立っている先生への安心感があるのかなと思う。
”私よく先生の夢を見ます”も、”胸の上の骨が噛めますね”、なんてすてきなのだろう。父と連動した夢を見た、そして死の予感を強く信じた、半分まぼろしでできていそうな女の子から発せられた言葉にしては、この部分だけはとても切実だ。それがまた、こころを揺り動かすのだ。直接ではなくて、ちょっと遠くからいじらしい雰囲気を出す言葉だなと思った。
少しそれるが、以前読んだショーペンハウアーの「存在と苦悩」の性愛についての記述に、ざっくりいうと愛がすばらしいのは健康な若者だからだ、という記述があって、かなり納得いかなかった。なので、この点においてやはり、苦しみや痛みの中にあふれる感情がいかに切なく美しいのかについて、答えを出してもらったように感じた。
「雪国」もよかったけれど、この作品はよりわたしがよく考えることに芯が通っていたため、ぐさっと刺さった。もっとたくさん読みたいなあ。