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コトバでスケッチ1 「映像 画質 不鮮明 だからキレイ」

※イラストスケッチ的なイメージで小説のワンシーンを切り取った風の文を描いてます。

 物語全体の構想があるというわけでもないのですが、溜まっていったら何かの作品に取り入れていくかもしれません。

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ガチャコン……ガチャガチャ。

 いちいち大袈裟な音を立てながら、ビデオテープが機械に吸い込まれていく。

「いつ擦り切れてしまうかわからんからね。早いとこDVDにしてしまわんと」

 久しぶりに孫が来ているというのに、お母さんもお父さんも、孫にメロメロになりながらも、ビデオテープの映像をDVDに記録し直すのに大忙しな様子だった。

 私が子どもの頃の映像なんて見返す機会もそうそうなかったわけだけど、孫に物心がつきはじめ、今こそそのタイミングとばかりにビデオテープを引っ張り出してきたらしい。ちゃんと見られるか再生したら、思った以上に画質が荒くて不安になった、というわけでDVDに記録可能な一体型のレコーダーを買ってきたということだった。

「お母さんもこんなに小さかったんだよー」

 圭太を膝の上に抱いて、お母さん(もうすっかりおばあちゃん)は不思議そうに画面を見つめる孫を置き去り気味にはしゃいでいる。

 あぁ、改めて見ると両親の焦りもよくわかるくらい、ビデオテープは画質が荒い。

 撮影したビデオの画質の問題も大きい、というかそれがほとんどだろう。今はスマホで当時何十万もした機材よりもキレイに動画が撮れる。

 再生する時の、勿体ぶるような、とにかくいろんな部品が総動員で頑張っている音も、大丈夫かな? と思わせる一因なんだと思う。

 ビデオテープの再生は、思い出を引っ張り出してくるという言葉がよく似合う。その引っ張る力で、だんだんと思い出は褪せていって、遂には見られなくなっていく。

 摩擦と摩耗と消耗と消失。

 年月の船が私たちを遠くへ運び、撮影した思い出との距離が開くほどに、それらは掠れて不鮮明になっていく。

 ふと圭太の方を見る。

 この子の思い出は、デジタルで記憶されていて鮮明だ。データはクラッシュする危険はあっても、劣化はそうそうしない。この子が大きくなった後に見返しても、ありのままの今を投影するだろう。

 ふと、寂しい心地がした。

 そこに思い出が入り込む余地はどのくらいあるんだろう。鮮明でないからこそ、記憶の中では鮮やかなものだって、あった気がする。

 あまりに詳細な映像は、記憶というより証拠なのかもしれない。

 時折、ノイズが挟まる色褪せた画面の中には花畑で遊ぶ9歳のわたしがいる。

 そうそう、この花たちは、この映像の何倍も色が濃くて、まるで光ってるみたいだったんだから。

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