希望とは羽をつけたわたし【エミリ•ディキンスン#254】
昨夜遅く、いや今朝未明に、うちの猫がワオンワオン〜とうるさく鳴いた。台風がくるぞと教えてくれたのだろうか。大雨になると落ちついて寝ていやがる。
台風の日にはあたしも詩を読んで落ち着こう。孤独の詩人エミリ•ディキンスンが希望を謳った詩である。
"Hope" is the thing with feathers —
That perches in the soul —
And sings the tune without the words —
And never stops — at all —
And sweetest — in the Gale — is heard —
And sore must be the storm —
That could abash the little Bird
That kept so many warm —
I've heard it in the chillest land —
And on the strangest Sea —
Yet — never — in Extremity,
It asked a crumb — of me.
希望とは羽をもった何かである。どうやらそれは魂の奥底でことばもなく鳴き、決して止まらない。小鳥を落とす大風(The Gale)の中でも甘く謳いあげ、温もりをたもち、極寒の地でも、恐れに変色した海でも聞こえる。もはやこれまで、命運尽きそうな極限においてもパン屑さえ求めなかった。
ポイントは「The thing」である。エミリの詩の批評家Helen Vendler教授は、「エミリは全詩作中〝thing〟を115回使い、7つの異なる意味をもたせた」という。数えても仕方ないけど、Vendlerは疑問をひとつ提示する。
なぜシンプルに「Hope is a bird with feathers」と謳わずに「Hope is the thing with feathers」とまわりくどく謳ったのか?
この謎をあたしなりに解くのが今回のテーマである。希望は羽をもつ鳥と謳わなかった理由は、希望が鳥ではないからだ。羽をもつ何かなのだ。羽とはなんだろう?
ひとつは、羽があれば「自由にどこへでも飛べる」。台風の海でも、寒い地でも、泥の海でも、どこへでも行ける。もうひとつ、「自ら羽ばたける」という意味もある。鳥の羽ではなく「自分で飛ぶ羽」である。ここには「自分で立ち上がることができる」という意味が込められているのではないか。
とすればthingとは何か?
まず日本語で考えてみた。thingは「こと」なのか「もの」なのか気になった。日本語の「こと」は「すごいことだ」「本は決められた棚に戻すこと」「広島に行ったことがある」などと、人がやったことや起きたこと、規則や禁止、経験を表すときに使う。一方「もの」は「めげるものか!」「ありものですまそう」「そんなものかな」と感情表現の中で使う。完全には分ちえない。
英語のthingにも両方の意味がある。「A strange thing happened=変なことが起きた」「It is a good thing=それはよいことだ」「Pack the things=持ちものをまとめろ」と、英語でも両意がある。
エミリが謳った「thing」もまた自由自在に「もの」や「こと」に変化するのではないか。たとえば「もの」は「羽をもつからだ」であり、どこへも行くことができる。「こと」は自分で決める「意志や不屈の心」であり、立ち上がることができるのだ。ここまでわかったから、この詩を訳してみよう。
希望とは羽をつけたわたし
魂の底でさえずり
ことばのない調べを謳い
決して止めようとしない
暴風の中でも甘やかに聞こえ
小鳥を失墜させんと
嵐に傷つこうとも
温もりを保つもの
極寒の地でも聞いた
泥色の海でも聞いた
極限の最中でも
希望は私にパン屑さえ求めず羽ばたいた
(りり〜郷訳)
希望とは自分自身がつくるものだ。小鳥が持ってきてくれるものではない。どんなに逆風でも、冷たい世間があっても、負けないことだ。
どうやって?希望をもってさ。希望とは何?あなた自身さ。
希望とは自分のやるべきことーエミリなら詩作ーを貫くことだ。あたしは散文を書き散らすこと。それが希望なのだ。今あたしは人生の大逆風下にいる。今日の台風どころじゃない。明日のことは正直わからない。しかし使命を果たし続けるしかない。
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