一学年7人の小学校に通っていてよかったこと
小学校1年生から5年生まで、1学年の人数が全学年10人未満の小学校へ通っていた。
私の学年は女4男3の合計7人。
他の学年も2〜8人くらいの人数だったと記憶している。
土地は広いのに人口が少ない(農家が多くほぼ農地なので世帯数が少ない)地域に住んでいた。
通学路は約1kmの直線距離で自宅から学校まで家が一つ、他は全て田んぼという風通しが良すぎる道路。
大人になってからよく巻き起こる地元の田舎度マウント合戦で上位に食い込めるようなところ。
そんな超小規模校ならではの独特の授業形態が、勉強とか仕事の素地を作ってくれたと言っても過言ではない。
複式学級
1つの教室で異なる学年の生徒が一緒に学ぶ形態の学級のことを言う。
教育関係者と実際に経験した人以外は聞いたことがないんじゃないか。
記憶の限りでは、1・2年生の時は1学年に1人担任の先生がついていた。
3年生以降複式学級になり、一つの教室をホワイトボードで仕切って、
「3年生は国語・4年生は算数、先生は1人」
みたいな状態で1時間授業をする。
先生は1人で1時間の授業の間に2学年を、しかも異なる教科の授業を行き来することになる。
当時は先生の大変さなんて1ミリも考えたことなかったけど、大人になってからあの時の先生ってすごかったんだなと思っている。
この複式学級の良さは、先生がいない時間にある。
先生がいなくなる時は、生徒に課題を与えて違う学年の方に行く。
個人で解くもの・全体で話合いが必要なものどちらのパターンも。
特に国語なんかは、みんなで話し合うみたいな課題が多かった気がする。
小学校中学年が生徒だけで課題に向き合わせる、なんて今思えば結構攻めたことしてんなと思うけど、その無理矢理感ある教育のおかげで身についたことがたくさんある。
「主体性」「協調性」「課題解決能力」「リーダーシップ」「場の空気を読む力」などなど。
自分で言うのもなんだが、同学年7人の中で一番勉強ができた。
それに気づいた先生は何かと私に振ってくるようになる。
先生不在の間の先生の代わりみたいな役割。
自分がどういう行動をしていたか明確には覚えていないが、口火を切る、進め方を提案する、進行する、みんなに意見を聞く、意見をまとめる、発表するなど、率先してやっていた。
というか、他にできる人がいないから自分がやらざるを得ない状況だった。
小学生なりに周りに気を遣い、誰かに振ってみたり、自分ばっかりにならないようにしていた記憶もうっすらある。
(昔のことすぎて記憶が曖昧なのをいいことに自分を美化してるだけかもしれない)
・自分がやらないと進まない
・でも自分ばっかりやりすぎない
・授業を進めなければという謎の責任感
・先生を困らせてはいけないという謎の正義感
・与えられた役割はきちんとこなす
・受け身でいる時間はほぼない
こんな社会人みたいなことを小学生のうちからやっていたのだから、くそ真面目な性格にもなるはずだ。
もうその時点ですでに真面目だったからやってたのか、どっちが先かわからないが、おかげで私は今でも根が真面目な人間だ。
マジメはマジメだが、この時の経験が影響して、気を遣いすぎたり自分が大変なことをぜんぶ請け負うようになっちゃってイイ人でつらい、みたいな感じに育たなくて良かったなと思っている。
会社の中では基本的に、自分が好きじゃない人のためには動いたりしないし、たとえば他部署で困っていて、自分に解決できそうなことでも基本首を突っ込まない。巻き込まれたくないから。
いわゆる八方美人ではなく、全力で忖度する。
やりたくないことは断るし、自分のスキルや時間を提供するときはちゃんと人を選ぶ。
見る人が見たら冷たい人間だと思う。
30代半ばくらいから、会社の中では変に好かれない方が楽と思って「好きじゃない人」に対しては、人として社会人として最低限の対応にとどめるようになった。
無駄に雑談しないとか、面白くないギャグは華麗にスルーするとか。
相手が喜ぶような反応をしてあげたり、自分の時間をそういう人との交流に割くことはやめた。
急にそっけなくなるんじゃなく、アハ体験みたいに少しずつやめていった。優しい。
そしたら変なことを聞かれたり頼まれたりすることがなくなったので、仕事がしやすくなりストレスも軽減したように思う。
小学校の複式学級を経て、そこからまっすぐすぎる育ち方をしていたら、人に嫌われても別に構わない、みたいな振る舞いはできていなかったんじゃないか。
その先に、ひねくれるたくなるような出来事とか、人との出会いとか、慣習を疑う感情とかもありつつ、小学校の経験のいいところは生かしつつ、自分が生きやすいように自分で導いてきて今の私になってるんだなと思う。
とにかく貴重な経験だったなぁ、複式学級。