キャリアにアップもダウンもない
人事の仕事をしていて、面接の進行役をすることがよくある。
「あなたは当社でどのようにキャリアアップしていきたいですか?」
という面接官の質問に違和感を感じていた。
「生活していけるお金を稼げれば良いので昇進とかは興味ないですぅ」
なんて言おうものなら即不採用になる。
でも、働く理由って根本はこうじゃないのかなぁ。
むしろ健全な理由なのに、それっぽいこと言わないと仕事させてもらえない社会めんどくさいな、と面接を進行しながらよく考えていた。
役職がつくこと、花形部署への異動、経験や出世のためと称した遠方への転勤、プレイヤーからマネージャーになること…
とにかく”この会社で”上を目指すことを求められる。
そして上にいる人たちは大体が「みんなそうあるべき」みたいな勢力。
私は何者にもなりたくない派だったので、それに抵抗感を感じていた。
昇進とか求めてないけど、生活のために働かなきゃいけないから会社に属してるって人も私以外にも一定数いるはずなのに。
そういうキャリアのラインも、社内にあっていいんじゃないかと思う。
「上がりたいんでしょ?」が前提の評価のために、わけのわからない目標設定を半年に一回させられて、自己成長だの協調性だの貢献度だのを求められる。
無理やり目標を作ってる時間が残業になってるの本末転倒だろ、と半年に一回心の中でめちゃくちゃ毒を吐いていた(口にも出してた)。
たしかに自分も昔は役職がついたり給料が上がることが嬉しくて仕事をしていたし、キャリアアップってそういうことだと思っていた。
でも「キャリアって仕事のことだけじゃないよな」と、考え始めるきっかけになったのは、この本だった。
まだ本のまえがきなのに、すごい共感しちゃった。
世間的に見て色々なことが”上がっていくこと”がキャリアアップだと捉えられがちだけど、例えばその代償として長時間労働や責任を負うストレスなどがあって辟易してしまうのであれば、その人にとっては幸せなキャリアアップではないのではないか。
ただ、これは自分が大事にしたいことが何なのかにもよる。
昇進や給料アップが仕事をする上でものすごく大事にしていることなのであれば、残業や責任負ってもキャリアアップ万歳!ということにもなる。
私が会社員としての労働に求めるものは、穏やかに楽しく生活を送るための資金を稼ぐことだったから、昇進とかリーダーとか管理職とかには全く興味がなかった。残業も責任重いのも避けたい。
その生活が送れる収入があって、自由に仕事をさせてもらえていた係長の役職だったとき、この先も黙ってずっと係長でいるためにはどうしたらいいかを本気で考えた。
が、私は根っこがクソまじめなので、適当に仕事をすることもできず、バカなフリをすることもできず、結局仕事をこなしてしまい永遠の係長は叶わなかった。
この本に出会った同時期に会社を辞めることを考えていたから、不本意な会社内キャリアアップに私の穏やかを侵食されてたまるかと、自分のキャリアについて考え始めた。
私の人生における大事な価値観の最上位に来るのは
快適(穏やか)だ。
ただ、この快適というのは、お金の不自由なく綺麗な家で優雅に暮らす、のような快適ではない。
・周りに惑わされずに意思決定ができる
・平常心でいられるための万全の準備ができている
・自分のやるべきことが明確で自信を持てている
・現状に納得しつつも違う道や新しいことにも取り組める
自分の内側に対する快適と言ったらいいのか、こういう状態で仕事してたいというのが理想だ。
さらに言えば、生活の中に仕事が溶け込んでるってくらいやってて苦じゃない仕事をして、「生きてる時間まるっと快適」みたいな状態にしたい。
…したい、とか言ってものすごく抽象的な理想だし、そもそも快適にはお金が必要だから、収入を得られる具体的な仕事に昇華させ、軌道に乗せて安定させなければならない。
ここのゼロ→イチがたぶん一番難しい。
でも、アップでもダウンでもない、「自分の納得いくキャリア」を歩むには避けて通れない関門だ。
だから、実験開始です。