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黄金週間なに読もう【今日の積読】#25
このnoteは平日の朝に更新することにしている。
よって、GW中は更新をお休みする。
休止の日程は暦通りである。
今年の連休は、前半の三連休と後半の四連休に分かれている。
あいだの4/30~5/2の三日間は更新する予定なので、覗きに来てもらえると嬉しい。
休み明けの再開は、5/7~である。
滞りなく運営していくためにも、休み中に記事を書き貯めておきたいところだ。
もっとも、わんぱく旺盛な二歳児と過ごしていると、休みが休みにならないのだけれど。
ところで、連休中はこれと云った予定もない。
どこへ出かけるでもなく、のんびり過ごすつもりである。
後半の連休に、妻は子を連れて自身の実家へ遊びに行くと云っていたから、送り迎えを除いて、僕は気儘に本でも読んで過ごさせてもらおう、と計画している。
問題は何を読むか、である。
長い休みともなると、意気込んで巨大長篇に挑みたくなるのが常だが、例年、読めてせいぜい一冊か二冊がいいところだ。
何年か前のこの時期、村上春樹『1Q84』の文庫全六冊を勢いこんで買い込み、さあ読むぞお!となったが、連休中に読めたのは一巻だけで、その後は間にほかの本も読んでいたりしたら、読みおえたのは結局秋頃、なんてことがあった。
昨年の夏休みは光文社古典新訳文庫の『罪と罰』全三冊に挑んだが、読みおえた頃、夏は終わっていた。
連休の挑戦は敗北の歴史でもある。
今度こそ同じ轍は踏むもんか、とおもいながらやっぱり大著に挑戦したくなってしまう。
まあ、ひとつのきっかけととらえればいいのかもしれないのだが。
今年はさすがに何冊にも亘るメガノヴェルは避けたが、それでも誘惑に導かれ幾つかの大著を手配した。
きっかけは新聞のサンヤツ(1面下段に載る出版社の広告)で見つけた『マチズモの人類史』。
著者のイヴァン・ジャブロンカって誰だっけ?どっかで聞いたことあるな、ああ!『私にはいなかった祖父母の歴史』のひとか!あのジャブロンカがマチズモ?読みたすぎる!となった。
何なら『私にはいなかった~』も積んだままで、読むならそっちから先に読めよ、て話で積まれた本棚をじっとり眺めていたら、『私にはいなかった~』の上には武田砂鉄『マチズモを削り取れ』が、こちらも読まれずにポンと置かれていて、マチズモ繋がりじゃん!連休はマチズモについて考えるのも良いかもしれない、と愉しくなってくる。
愉しくなってる場合じゃなく、さっさと読め、である。
さいきんは新書ばかり読んでいて、そろそろ小説を読みたくなっている。
近刊では光文社古典新訳文庫のオースティン『説得』が気になっている。
オースティンは読んだことがなくて、やっぱり読むなら『高慢と偏見』からじゃないか、とおもうのだけど、読もう読もうとおもいながらずっと読んでこなかったのだから、いま出た『説得』をさきに読んじゃえ、という気持ちである。
廣野由美子訳も何気に読んだことがない。
『100分de名著』でお見掛けしてるし、著作も気になるものばかりで、すっかり読んだ気になっていたが、たぶんはじめてである。愉しみである。
『100分de名著』と云えば、五月はトーマス・マン『魔の山』をやるらしい。
『魔の山』、読まずに死ねるか!な一冊だな、この機会に読むか、と云う気になる。
トーマス・マンも読んだことがなくて、『魔の山』は岩波文庫版と新潮文庫版が手に取りやすいが、いずれも訳が古く、光文社古典新訳文庫あたりで新訳出ないかな、とずっと待っていたが、今のところそんな予定もなさそうで、書店で見比べたら新潮のほうが字が大きくて読みやすそうだ。
訳のことば遣いが古いだけならまだしも、細かい字だとさいきんは目が疲れちゃって、読めなくなってきている。
新潮文庫は上下二冊だが、三冊にしてもいいのでは、とおもえるほど分厚く、パラパラ繰ってみたところ、改行の少ない、頁に字がみっちり書かれた「黒い」本で、読むのに時間がかかりそうだ。
連休中に山登り、なんてのもいいかもしれない。
読みたい本をたくさん並べて、愉しみは広がるが、図書館で予約しておいた新書もどっと押し寄せてきていて、まずはそちらから読むべきなのかもしれない。
となると、それらを読んでいるうちに連休なんてあっとゆう間に終わってしまって、うえに挙げた本はどれも読めない、なんてことになりかねない。
いやいや、どれか一冊くらいは読みたいものである。
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