『蜘蛛の糸・杜子春』芥川龍之介(新潮文庫)【読書感想文】#47
このnoteは、平日毎日更新、を謳っているけれど、この二三日は実生活で文章を書かなければならず、こちらはおやすみとさせてもらった。
時間的な問題もあるが、やはりアタマの切替が難しく、同時には書けない。
毎日書かないと億劫になって辞めてしまうので、早期に復帰しようとまた筆をとる。スマホで書くから、筆というよりはアプリを立ち上げる、なんだけど。
書けないながらも読書はつづいている。
本を開き読みはじめると、さいしょのうちは実生活のことが気になってなかなか意味が入ってこないが、行きつ戻りつ読んでいる内、だんだんと入りこんでいき、心も落ち着きを取り戻す。
読むことでアタマを切り替える。
僕にとって読書は瞑想に近い。
読むのはできれば古典がいい。実生活とかけ離れているほど、静けさは増す。
芥川龍之介『蜘蛛の糸・杜子春』を読む。新潮文庫。
元々は志賀直哉を読んでいたら、芥川の短篇も読みたくなり手に取ったが、読みやすいし面白いしで、こちらを先に読み終えてしまった。
これまでも何度か読んでいるが、何度読んでもその巧さに惚れ惚れする。どころか、読む度毎にその感心の度合は高まっていくようにおもえる。
芥川はさまざまな文体や、物語の構成を試しながら、小説の方法を模索していたようにおもう。
あらゆる国・時代の物語に材を取り、語りなおすことで、現代のことばでどうやって小説を書いたらいいのか、その方法を探しつづけた。
文体に自覚的だったからか、いま読んでもあまり古さを感じない。そうやって、現代の作家も使うような手法や構成を編み出していった。
我が国最高の文学賞にその名を残しているというのも、妙に納得してしまう。
収録作は以下の十篇。
「蜘蛛の糸」「犬と笛」「蜜柑」「魔術」「杜子春」「アグニの神」「トロッコ」「仙人」「猿蟹合戦」「白」。
いずれも少年少女向けに書かれたもので、芥川入門篇としても最適な一冊と云える。
「蜘蛛の糸」は有名だが、いずれもラストに何かしらの反転がある、という意味で、語りの構造は似通っている。
犬の話も二篇あって、芥川は犬派なのか、ともおもう。
この短篇集の芥川は、プロットがわかりやすく、いまでも割合面白く読める。
それを「物語的」とするならば、対する志賀直哉は何気ない日常を描いていて、劇的なことは何もない。何も起こらないのに面白く読める、いう意味で、より「小説的」なのかもしれない。
その辺りをもう少し読みたいから、また志賀直哉に戻りつつ、芥川の他の小説もいっしょに読んでいく。