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インスマスの影 2024/07/17(1-p.527)#68

H・P・ラヴクラフト(南條竹則編訳)『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』を読みおえる。新潮文庫の100冊(今年の、じゃないけど)。

クトゥルー(クトゥルフ)神話ははじめて読んだ。名前くらいしか知らなかったが、いやはやナルホド、ゲームや漫画、映画や小説に至るまで、後世に絶大な影響を与えた、と云うのがよくわかる。十代のころ夢中になって観た『Xファイル』、思い出すなあ。モルダーとスカリー。あの不穏なオープニング曲がいまも頭のなかで掛かってまた観かえしたくなる。懐かしい。

それから散々やったゲームね。『バイオバザード』とか『サイレントヒル』とか『SIREN』とかホラーアクション/アドヴェンチャーが大好物で、クトゥルー神話と直接は関係ないのかもしれないけど、雰囲気や世界観は確実に引き継がれていて(関係性としては、孫とか曾孫とかくらいの世代にあたるんだろうか)思い出すとまたプレイしたくなる。

おもえば僕がゲームにハマっていたのは、ゲームそのものをプレイしていたと云うよりは、物語をプレイしたくて、その手段がゲームしかなかった、ということなのかもしれない。かと云ってレベル上げとか話の進行しないパートも、愉しくできてはいたのだけれど。あの「レベル上げ」に相当する時間て、いまだと何なんだろう、と考えてみる。純文学を読む、とか? プロットではない部分を愉しんでいるあたりが、近いような気がする。或いは純文学に限らず、ひとつの小説のなかでも退屈な部分はいつでもあって、それでも飽きずに読みつづけていくのはレベル上げの感覚に近いとも云える。読書の筋トレ、とでもいおうか。後で効いてくる。先がラクになる。

生活でも仕事でも、僕は基本的にラクをしたいとおもいながら生きている。日々がむばって働いているのは、さっさと仕事を終わらせて早く帰りたいから、というのが大きなモティベーションになっていて、帰りたいために働くって何だよ、て不図立ち止まっておもうこともあるけれど、こういうのは深く考えないほうが良いんだとおもう。

話がだいぶ逸れた。というか『インスマスの影』の話はほとんどしていなかったなあ。全七篇。1「異次元の色彩」、2「ダンウィッチの怪」、3「クトゥルーの呼び声」、4「ニャルラトホテプ」、5「闇にささやくもの」、6「暗闇の出没者」、7「インスマスの影」(便宜上勝手に番号を振った)。1、2が面白くて、3あたりから少し飽きて、さいごの7でまた盛り上がる、という読書だった。さいごの表題作はおっかなかったなあ。

さてさて、この傑作選は既刊がまだ二冊残っている。間をおかずに、かと云って飽きない程度に、つぎも読んでいきたい。

紫の映える装幀。


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