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小公子 2024/08/28(7-p.317)#105

フランシス・ホジソン・バーネット『小公子』を読みおえる。川端康成訳。いつだかの新潮文庫の100冊。

センターに犬がデンッと鎮座しているが、
そのわりに大して出てこない。

スラスラ読めてあっという間に読みおえてしまった。いつもは読みおえた日の日記に感想、のようなものを書いているけれど、きのうの日記に云いたいことは殆ど書いてしまい、補足することも余り無い。

この時代の小説は清々しくて良い。勧善懲悪、素直なこころ、ひとは何度でもやり直すことができる。教訓めいていて、古くさいけれど、真理だなあ、とおもう。子どものころに読めば、セドリックのように生きたい、とおもったかもしれないし、いま読むと、お母さんや、おじい様の伯爵目線で、子どもと関わりたい、子どもに教わる、と云うふうにも読める。

本作と同時代の小説だと、ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』が好きなのだけれど、気持ちの良い読後感が共通しているようにおもえる。19世紀後半の小説は、忙しすぎて疲れていて本が読めない、なんて現代人が、通勤電車や職場の昼休み、或いは家事育児の合間に読むのにちょうどいい。現実からの逃避具合も、距離感が程よい。

バーネットは『小公女』や『秘密の花園』と云った作品も有名で、題名は聞いたことがあるけれど、僕はこれまで読まずに過ごしてきた人生であった。作家の中村真一郎は、病気からの恢復期などの弱っているときに『小公子』を読んでいた、と鴻巣友季子が解説に書いていたけれど、僕もまた疲れ果ててしまったときなどに読んでみようとおもう。つまりは、僕がこんどバーネットを読みはじめたら、ああこいつ疲れてんだな、とおもっていただきたい、と云うことである。


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