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普通をやめる

私は小さい頃から、「普通」とか「みんなと同じなように」という事がよく分からなかった。

自分のままでいると、周りとズレているような、浮いているような、そんな感じがあった。

大人からも普通で、みんなと同じにと言われ、時には怒られた。
それがどういう事か分からなくても、その答えは教えてもらえなくて、小学校高学年頃には頑張って周りを見て、自分なりに合わせるようにしていた。
興味がなくても、そう思ってなくてもはみ出ちゃいけないから合わせる。
そんな感じ。

それが成功してしまったようで、いつの間にか大人の求める「協調性」のある人になった。
私にとっての「普通」は大人が良しとする事だった。

自分の色を消して、相手の色に合わせていく。

本当の自分はダメだと思っているので、周りに本音も言えなかった。本音言って、感じてる事言って、変に思われたくなかった。

夜空の星を見上げては、「早く帰りたい」なぜかそんな事を本気で思っていた。

周りには明るい自分でいたし、基本的に心配をかけるのが嫌だから、そんな風に私が感じてた事は誰も気づかない。演技派な私。

母も「手のかからない良い子」と。上手く騙せた。

何も言えなかったわけではない。圧力の強かった父にはかなり反発し行動に表した。
でも基本的には、あまり自己主張しない「優しくて良い子」だった。

大学生活は「普通」とはかけ離れたものになったが。。

その後は働いて、結婚して、子どもを産んで、家を建て。それが「普通」で、幸せなのだろうと思っていた。思い込んでいた。

その頃には、本来の自分を忘れていた。
でもそれはなくなった訳ではなく、ただ自分の奥深くに抑え込んでいただけなので、少しずつ、違和感や辛さ、苦しさや空虚感などを通して顔を出してくる。

ある時、長男が周りから堂々とはみ出してるのを見て、「人と違っていい」と言い切る姿を見て、ハッとした。

「人と違っていいんだ」

当たり前の事だけど、私にとっては衝撃だった。
みんな違って当然なのに、同じじゃなきゃと思って、なれない自分を責めていた。そんな自分が嫌いだった。

そこら辺から、私のこれまで被ってきた仮面が剥がれだした。

嘘の自分をやめていく。「普通」をやめていく。

次第に本来の自分が戻ってくる、思い出していく。

「普通」というのは幻想だったんだと気づく。
「普通」の幸せなんてないと言うことが分かる。

苦しさや空虚感そんなものがなくなっていく。

幸せは内側にあるんだと気づく。

昔の私をよく知る人と会うと「変わったね」と言われる事がある。

でもね、変わったんじゃない。これが本来の私。


私は自然な本来の自分であることを、私の「普通」にしたい。


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